事実の錯誤は、構成要件に関する事実の錯誤と、違法性に関する事実の錯誤に分けられる。
刑法総論において、故意を「構成要件的故意」と「責任故意」に分ける学説があるが、構成要件に関する事実の錯誤は構成要件的故意の成否についての議論であり、違法性に関する事実の錯誤(誤想防衛等)は責任故意の成否についての議論であるといえる(以下、この学説に基づいた説明をする)。
構成要件に関する事実の錯誤は、同一構成要件内の事実の錯誤と、異なる構成要件間の事実の錯誤に分類される。
客観的事実と認識の食違いが同一の構成要件の範囲内である場合(具体的事実の錯誤とも呼ばれる)。
例えば、殺人罪を行おうとする意思を持ち、客観的にも殺人罪に当たる行為を行った場合である。
同一構成要件内の事実の錯誤には、客体の錯誤・因果関係の錯誤・方法の錯誤(打撃の錯誤)などの例がある。
客体の錯誤
攻撃の客体の同一性を誤認した場合をいう。例えばAが、暗がりにいるBを殺そうと思い銃撃したが、実は別人のCであり、Cが死んだ場合である。この場合に、Cに対する殺人罪の故意が認められるかどうかが問題となる。
因果関係の錯誤
行為者が意図していたところと異なった因果経過をたどって、意図していた結果が発生した場合をいう。例えば、AがBにナイフで襲いかかったが、Bがとっさに横に避けたためナイフは刺さらなかったものの、急に横に避けたため、通りかかった車に衝突して死亡した場合である。ほかに、AがBにナイフで襲いかかってBを殺し、これを砂浜に捨ててきたところ、実はこのときBは驚いて気を失っただけで命の危険はなかったが、その後砂浜の砂を吸い込んで窒息死した場合がある(遅すぎた結果の発生。「ウェーバーの概括的故意」の事例ともいう)。
方法の錯誤(打撃の錯誤)
攻撃の結果が、意図していた客体とは別の客体に生じた場合をいう。例えば、AがBを殺そうと銃撃したが、弾がそれて隣にいたCを撃ち殺してしまった場合である。この場合、Cに対する殺人罪の故意が認められるかどうかが問題となる。
客観的事実と認識の食違いが異なる構成要件にわたる場合である(抽象的事実の錯誤とも呼ばれる)。
器物損壊罪についての認識・意思を持ち、客観的には傷害罪にあたる行為を行った場合
Aがイライラして、店頭にあったマネキン人形にバットで殴りかかったが、実はBという人間であり、Bが負傷した。
傷害罪についての認識・意思を持ち、客観的には器物損壊罪にあたる行為を行った場合。
AがバットでBの足に殴りかかったが、実はCが所有するマネキン人形であり、マネキン人形が壊れた。
窃盗罪についての認識・意思を持ち、客観的には占有離脱物横領罪にあたる行為を行った場合。
Aが公園のベンチで隣のBの足元にBの荷物があり、Bが読書に夢中になっているすきに、荷物を持ち帰ったが、実はこの荷物は数日前に誰かが忘れていった落し物であった。
占有離脱物横領罪についての認識・意思を持ち、客観的には窃盗罪にあたる行為を行った場合。
Aは公園のベンチに風雨にさらされたような古びた誰かの忘れ物を持ち帰ったが、実は持ち主であるBがたまたまトイレに行っていて数分間現場を離れていただけであった。
なお、異なる構成要件間の錯誤でも、理論的には客体の錯誤や方法の錯誤に分類することは可能である。
客体の錯誤 前述のマネキンを壊そうとしたが実は人だったという例。
方法の錯誤 AはBを殺そうと銃撃したが、弾がそれて隣にいたCの飼い犬を撃ち殺してしまった。
これらの錯誤の諸事例について、法定的符合説と具体的符合説と抽象的符合説があるとされる。近時の論争は、前二者及びその中間説の争いである。
判例・多数説は、法定的符合説である。
構成要件の範囲で事実と認識の符合があれば足りるとする説であり、構成要件要素という抽象的なレベルでの符合があれば足るとする。後述する具体的法定符合説の論者からは抽象的法定符合説と呼ばれる。
具体的には、同一構成要件内の具体的事実の錯誤は、故意を阻却しない、とする。
なぜなら、故意とは、犯罪事実を認識し、規範に直面し反対動機を形成できたにもかかわらず、これを認容する積極的反規範的人格態度であるから、故意が阻却されるか否かは、規範に直面していたか否かによって決すべきであるところ、構成要件は当罰的な行為を抽象化・類型化したものであり、犯罪事実を誤認していても、それが同一構成要件の範囲にあれば、当該類型化された犯罪行為をしてはならないという同一規範に直面していたといえるからである。
違法性に関する通説である行為無価値・結果無価値二元説(折衷説)によれば、行為者は少なくとも人を殺してはいけないという規範に直面し、反対動機(やっぱり止めようという考え)の形成が可能であったのにあえて行為を行った以上、故意を認めるべきとされるのである。
一方、異なった構成要件間にわたる抽象的事実の錯誤は、故意を阻却するとする。なぜなら、行為者は規範に直面していなかったからである。
もっとも、法定的符合説を前提としつつ、ただ、同質で重なり合う構成要件間の錯誤は、重なり合う限度で軽い罪の故意が成立するなどとされる。なぜなら、罪質が重なり合う限度で規範に直面していたといえるからである。
そこで、この修正された法定的符合説を前提に、構成要件の重なり合い の有無の判断基準が問題となるが、「保護法益の共通性と、行為態様の共通性」の観点から考えるとする説が有力である。
例えば、殺人罪と傷害罪/殺人罪と同意殺人罪と自殺幇助罪/強盗罪と恐喝罪と窃盗罪と占有離脱物横領罪/一項詐欺罪と二項詐欺罪/横領罪と業務上横領罪では重なり合い(包摂関係)が認められるとされる。ただ、一般に傷害罪と器物損壊罪の間では重なり合い(包摂関係)は認められないとされる。したがって、傷害のつもりで器物を損壊した場合には、器物損壊罪の故意は成立しないとされる。器物損壊(軽い罪)のつもりで客観的に傷害罪や殺人(重い罪)の結果を生じた場合に、傷害罪や殺人罪の故意は成立しないとするのはもちろんのこと、器物損壊罪の故意も成立しないとする。したがって、この場合器物損壊罪(上限懲役3年)は成立せず、過失致死罪(上限罰金50万円)や過失致傷罪(上限罰金30万円)が成立しうるにとどまる。この点で、抽象的符合説と異なる。
他方、例えば、覚せい剤を輸入する意図でヘロインなどの麻薬を輸入した場合を考えると、行為者は覚せい剤取締法違反(覚せい剤輸入罪)を意図しつつ、麻薬及び向精神薬取締法違反(麻薬輸入罪)を犯している。よって覚せい剤輸入罪の認識はあるが事実がないためこれによって罰することはできず、麻薬輸入罪の事実はあるが認識がない(故意がない)ためこちらでも罰することができないように思われる。しかし最高裁は、この二つの法律は取締りの目的が同一で取締りの方法も類似しており、覚せい剤も麻薬も有害性や外形が似ているため、両罪の構成要件は実質的に重なり合っているとして麻薬輸入罪の故意を認めた。
どのようなときに異なる構成要件間に重なり合いがあるのかの判断は、上記の最高裁の判断のように、その二つの罪の質的な同一性に求められ、実質的に判断される。
現実に発生したところと、表象したところが具体的に符合していることを要するとする。
この中でも、自然主義的な観点からの符合を要求する純粋具体的符合説は実際には存在しない。現在主張されている具体的符合説は、構成要件の範囲での符合を要する(この意味で法定的符合説の一種であると称する。)が、客体については具体的符合を要求する見解(この意味で具体的法定符合説と称し、先に述べた法定的符合説を抽象的法定符合説と呼ぶ。)である。
具体的には、具体的事実の錯誤について、客体の錯誤・因果関係の錯誤については故意を認めるが、方法の錯誤については故意阻却するとする。しかし、あまりに故意の成立範囲を狭め、法益保護機能を果たすことができない と批判される。また、実際上、両者の区別が困難な場合もあると批判される。
この説での抽象的事実の錯誤の扱いについては法定的符合説と同一である。
異なる構成要件の間でも、少なくとも軽いものについては、抽象的な符合が認められれば足りるとする。
具体的事実の錯誤の場合に故意を認めることはもちろん、抽象的事実の錯誤の場合で、器物損壊の認識・意思で人を負傷・死亡させたときは、器物損壊罪の故意が成立するとして、器物損壊罪が成立するとする(客観面では人を負傷させたり死亡させる行為は器物損壊の行為を含むとする)。