醜形恐怖
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身体醜形障害

醜形恐怖症の人を描いたイラスト
概要
診療科精神医学, psychomotor education[*], 臨床心理学
分類および外部参照情報
ICD-10F45.2
ICD-9-CM300.7
DiseasesDB33723
eMedicinemed/3124
Patient UK身体醜形障害
[ウィキデータで編集]

身体醜形障害(しんたいしゅうけいしょうがい、: body dysmorphic disorder ; BDD)あるいは醜形恐怖症とは、極度の低い自己価値感に関連して、自分の身体や美醜に極度にこだわる症状である[1]。実際よりも低い自己の身体的なイメージが原因である。俗に形恐怖また醜貌恐怖とも呼ばれる。整形経験者の自殺率は一般の人の45倍と極めて高い[2][3]

精神障害の診断と統計マニュアル』第5版のDSM-5では強迫性障害関連症群(スペクトラム) に含まれる。その強い強迫観念から身体醜形障害はうつ病を併発する割合もかなり高いとされる。

人口有病率は、0.5-0.7%ほど[1]。BDDのハイリスク層には、うつ病社会恐怖アルコール乱用薬物乱用強迫性障害摂食障害などの罹患者が挙げられる[4]

治療法については、「身体醜形障害#管理」を参照。
定義「精神障害#定義」も参照

精神医学的障害の一種である。
歴史

「醜形恐怖」という言葉が19世紀にこの病気について初めて発表したイタリア人医師の名付けた原語を日本語訳したものとして作られ、長らくこの用語が日本では一般的であった。しかし近年、患者が顔だけではなく身体全体を気にしだしたため「身体醜形障害」と呼ばれることも多くなった。

1995年に発表されたアメリカの調査によると、有病率は1%であるとされているが、患者は自身の身体醜形障害を医師にも言わない傾向が多いため、実際にはより多数の患者がいるのではないかと推測されている。

日本では1990年後半から多くなりだした。この内2割は引きこもりのような状況になるとされる[要出典]。整形をする人も多いが、思い込みであることが多いため満足な結果が得られることは少なく、結果的に逆に顔を崩してしまうことさえある。この障害を持つ場合には、1日に何時間も自身の肉体的な欠陥について考えるようになり、極端に社会から孤立してしまうとされる。
特徴

男性の場合、第二次性徴によって男らしく変化した部分を嫌い、幼児期のままの自分でいたいと思う傾向が強いとされる。また、女性の場合は、母親や姉妹など周囲の身体に対する優劣を意識する傾向が強いとされる。顔自体に限っていえば男性に多いが、身体全体にわたる場合は女性に多いとされる。醜形障害者の割合に男女比の差はあまりないとされるが、とらわれる箇所は男女個々様々で体全体にいたる。アメリカの調査ではこだわりの多い部位はまず髪の毛へのこだわりが63%と最も多く、次いで鼻、皮膚が50%、目27%、頭や顔全体20%、身体全体、骨の形20%、唇、顎、腰17%、歯、脚、膝13%、胸、胸の筋肉、自分の顔全体を醜いと考える10%、耳、頬、ペニス7%、手、腕、首、額、顔の筋肉、肩、お尻3%と報告されている。鼻を気にする人は特に多い。
ボディイメージとの関連

上述の通り、醜形障害者は、自身の身体の至る部分に偏ったボディーイメージを持っている。一度鏡で見た顔や容姿にいたるイメージへも、確固たる真のイメージを持ちづらいとされる。それゆえ、何度も鏡を確認するものと思われる。

醜形障害者の日常生活における困難は、鏡などの反射物(鏡、ガラス、水面、なべのふた、スプーン、ペットボトル、食器類など)に映る顔全体の影形やその姿であり(更に症状が進むと、太陽や照明機器に照らされた影による自らのヘアスタイル、横顔の造形なども気になりだす)、その対象物を何十分、何時間という単位で目で確認し続けるという強迫性障害でいう強迫確認または強迫行動によって支配される苦しみや苦痛である。また外出した際は他人の視線(顔や容姿全体、こだわっている箇所)を意識しすぎて、ショーウィンドーのガラスや車のガラス、バックミラーなどに自身の顔や容姿を映し様々な角度から自分のこだわっている箇所を確認し続けるという行動をとる。その姿が自分の思っていた顔や容姿とのイメージと合致した場合は、気分が高揚し安心感を持ち、かけ離れていた場合は酷く落ち込み、目的だった事柄や場所に行けず冷や汗を掻いて引き返してくることもある。また外出時は自分の顔・容姿のこだわっている箇所を他人と必死に比べようともする。

また反射物に限らず、写真や映像(カメラやビデオ)に撮られることも嫌い、その自身が写った写真や映像から目を背けたり写りたがらない。写真や映像に写った自身の顔・姿のイメージが自己のイメージと合致すれば上記の様な心理状態になり、違った場合は落胆し鬱になったり、写真の場合は破り捨てることも見受けられる。その結果、履歴書などに載せる証明写真を撮るのに支障をきたす場合がある。

また、醜形障害者は鏡やガラスなどに映った自分を見続ける確認行動がある一方で、必死に鏡やガラスなどの反射対象物を避け、なるべくこだわっている箇所を映さない、映らない、確認しないなどといった極端な側面も持ち合わせていることが多い。なぜその両面を持ち合わせているのかは具体的には分からないが、強迫性障害で言う強迫確認の負のループに自身の大事な時間を費やされたくない、その確認しているさまを他人に見られるのが恥ずかしい、奇妙な行為だと思われるのが怖い、またその確認でこだわっている箇所を見てしまったための落ち込みの不安で、恐怖と絶望の渦に陥りたくないという心理的要因が働くのではないかと思われる。そしてこの二つの面を持ち合わせている者もいれば、そうでない者もいるようである。

醜形障害者は妄想的に確信を抱いたとらわれのパターンと、元々(生まれつき)の細かい「欠陥」(例えば、髪の毛が柔らかく細く頭髪が元々薄い傾向や、成人して止まってしまった身長などに対する変えられようのない事実)にとらわれてしまうパターンとがある。後者は投薬治療では中々改善しない場合が多く、10年近く症状で悩まされる場合も多い。いずれにしても、細かい顔や体に対する欠陥や妄想的とらわれが身体醜形障害の特徴である。自分の容姿にとらわれるあまり、家族にまでそのとらわれ箇所の確認を要求する(どのように思い、感じるか)家族巻き込み型もこの病の典型である。その結果、家族のいい回答が得られずに(正しい返答がない、もしくは家族として思いやってか言葉に表しにくいため)家庭内暴力にまで至るケースもある。

またこれら反射物による恐怖を発端とする忌避行為により、日常生活に多大なる影響を与える。特に就労に関してこの問題は大きい。例を挙げれば、反射するモニターを使用する光沢液晶やCRTの仕事を忌避したり、サイドミラーを恐れ運転免許が取れなかったり等致命的な支障を就労においてきたす。自分の顔への恐怖は、裏返せば他者の視線への恐怖であり、面と向かってのデスクワークや会議、及び面談等でまともに正対して視線を合わすことさえ困難を極める。結果的に、能力的にできる職種であっても、醜形恐怖が先行するあまり、自ら職業選択の幅を狭め、最悪何も仕事を選べないという状況になり得る。プライベートにおいてもそのような状態では恋愛はおろか友人関係を築くのにも著しい困難を生じる。

症状の性質上、健常的な範疇内での純粋な容姿のコンプレックスと身体醜形恐怖との判別がつきにくい事が、この病をより複雑化している。両者を併せ持つケースも考えられる。しかし、醜形恐怖患者は、自分の容姿について、絶え間なく悩まされるという部分に両者の間で決定的な違いがある。醜形恐怖患者の中には、もちろん誰にでもあるような、客観的に見られる体の醜さで悩む事もあるだろうが、それ以上にその「醜い」「容姿が気になる」という思考・感情をコントロールできない部分にこそ本当の根深さ・問題が隠されている。また顔というのは全体的バランスとして美醜を判断すべきだが、醜形恐怖患者は、目・鼻・口・毛髪等細部の各パーツ毎に極度のこだわりと理想を持っているのも特徴である。この状態が逸脱しすぎて、一般的に言われる美醜というより自分の中で描いている理想と現実のギャップに絶望・不安と混乱を生じやすい。妥協という言葉は一切生じない。この「醜い」という不快な思考を抑えても、抑えても、果てしなく湧き上がる状態は、たとえば強迫性障害で、人を車ではねたのではないか?物が決まった場所に無いと焦燥を感じる、等の恒常的な永遠と反復する不安に陥る、思考をコントロールできない部分で共通する。強迫性障害と深い関わりがあるといわれる理由はここにある。つまり、常に付きまとわれる容姿についての悩み(強迫観念)とその不安を消失させるために鏡を見る等の確認行為(強迫行動)、そして鏡や反射物を恐れる(逃避行動)は、全て強迫性障害によく見られる行動パターンである。健常的範囲での容姿コンプレックスであれば、一時的な観念的悩みはあれど、強迫行動や逃避行動までには至らない。また、鏡を見る行為ひとつとっても、健常者であればエチケット・身だしなみとして気軽に見る行為であるが、醜形恐怖患者の場合は、そのような要素よりもとにかく不安を抑えるための確認作業・苦渋の解決策として極度のストレスを伴いながら鏡を見る。


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