DH制(指名打者)は採用しない。
試合は9回で同点の場合には延長戦。ただし延長15回でも決着しない場合には、翌日か翌々日再試合。コールドゲームは得点差では認められておらず、雨天などの天災で7回以降の均等回を消化した場合のみに採用される。改革した例に1999年12月、高野連全国理事会で延長18回制を15回制に変更したことがあげられる。
審判員は球審、3人の塁審、予備審判2人と控え審判員1人の計7人。ただし、ナイター下では2人の予備審判員が外審として試合に加わる。
大会歌・その他
1931年に初代大会歌(作詞・長谷川海太郎、作曲・陸軍戸山学校軍楽隊)が制定。しかし歌詞に英語が含まれていたため1年で廃止。
1934年に2代目大会歌「陽は舞いおどる甲子園」(作詞・薄田泣菫、作曲・陸軍戸山学校軍楽隊)が制定され、1992年まで使われた。
1993年からの3代目大会歌は阿久悠(故人)の作詞、谷村新司が作曲した「今ありて」が採用されている。
また1955年から現在に至るまで、連続的に神戸山手女子高等学校が大会歌の合唱を担当している。
国旗、大会旗、プラカードを持つのはボーイスカウト日本連盟所属のベンチャースカウト(高校生)であったが、2008年の80回大会から各出場校の生徒がプラカードを持つことになった。なお、甲子園球場の所在地は兵庫県だが、プラカードは大阪連盟所属のスカウトが持っていた。プラカードは2008年の80回大会では「全国高校書道コンクール」(毎日新聞主催)で上位に入賞した高校生が地域ごとに出場校の文字を書き入れるものに変更される[2]。
1999年より、開会式の国旗掲揚時に「全日本学生音楽コンクール」(毎日新聞主催)声楽部門高校生の部の優勝者による国歌独唱が行われている。
センバツ球史に残る名勝負
作新学院対八幡商延長18回引き分け再試合(第34回・1962年)
前橋(群馬)対比叡山(滋賀)1-0完全試合(第50回・1978年)
東邦対上宮 3×-2の逆転サヨナラ勝ち(第61回・1989年)
金沢(石川)対江の川(島根)3-0完全試合(第66回・1994年)
花咲徳栄対東洋大姫路延長15回引き分け再試合(第75回・2003年)
関西対早稲田実業延長15回引き分け再試合(第78回・2006年)
平安対鹿児島工延長15回引き分け再試合(第80回・2008年)
歴史
1924年 第1回 和歌山中学が大毎野球団に働きかけた事により[3]、選抜中等学校野球大会として山本球場(のちの八事球場)で開催。
1925年 第2回 会場を夏の大会と同じ甲子園に変更。以降、甲子園で開催するようになる。
1926年 第3回 ラジオ中継開始。
1927年 第4回 大正天皇崩御の関係で4月下旬から開催し、決勝戦は5月に開催。