選抜高等学校野球大会
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1日に割り当てる試合数

1日の試合数は以前は最大4試合で、1994年の第66回大会までは1回戦の2日目-4日目と8日目の準々決勝開催日がその当該日だった。しかし阪神・淡路大震災による交通障害で応援団の来場スケジュール調整が必要なこと、また選手の健康管理面の問題などを考慮し、1995年の第67回大会から4試合日は9日目の準々決勝のみとし、1・2回戦の全開催日の初日-8日目は1日3試合とするようになった。

更に第76回大会(2004年)から大会後半の選手の連戦による疲労を避けるという意味合いで夏の大会と同じように、準々決勝を1日2試合ずつ割り当てることにした。ただし雨天延期などによる日程の過密化で消化しきれない場合は4試合一括開催となる場合あり。よって現在は最大1日3試合まで開催されていることとなる。ただ、10年単位の記念大会となる西暦下一桁8年の年は、36チーム参加のため、一部予め4試合設定の日がある。

第1試合の基本的な開始時間
初日 - 開会式直後の10:20。3試合開催日 - 9:00。2007年から従来(9:30)より30分繰り上げられた[1]。2試合開催日(主として準々決勝、準決勝) - 11:00。1試合開催日(主として決勝) - 12:30または13:00。4試合開催日(日程編成の都合で4試合消化しなくてはいけない場合) - 8:30。1989年まで8:00開始だった。

2試合以上開催する場合、新聞の組み合わせ発表では「試合時間2時間・練習とグラウンドの整備30分」と仮定して、3試合日の場合「(1)9:00、(2)11:30、(3)14:00」とそれぞれ掲載されているが、あくまでも目安であり、実際には次の試合はグラウンド整備や事前練習の関係もあり、原則として前の試合終了から30分程度の時間を置いてから行う(早く終了した場合は新聞等発表の時刻より繰り上げられる場合もある)。なおかつては4試合開催日の場合で「(1)8:00、(2)10:20、(3)12:40、(4)15:00」を目安として、前の試合終了から20分後に次の試合を行っていた。


試合

DH制(指名打者)は採用しない。

試合は9回で同点の場合には延長戦。ただし延長15回でも決着しない場合には、翌日か翌々日再試合。コールドゲームは得点差では認められておらず、雨天などの天災で7回以降の均等回を消化した場合のみに採用される。改革した例に1999年12月、高野連全国理事会で延長18回制を15回制に変更したことがあげられる。

審判員は球審、3人の塁審、予備審判2人と控え審判員1人の計7人。ただし、ナイター下では2人の予備審判員が外審として試合に加わる。


大会歌・その他

1931年に初代大会歌(作詞・長谷川海太郎、作曲・陸軍戸山学校軍楽隊)が制定。しかし歌詞に英語が含まれていたため1年で廃止。

1934年に2代目大会歌「陽は舞いおどる甲子園」(作詞・薄田泣菫、作曲・陸軍戸山学校軍楽隊)が制定され、1992年まで使われた。

1993年からの3代目大会歌は阿久悠(故人)の作詞、谷村新司が作曲した「今ありて」が採用されている。

また1955年から現在に至るまで、連続的に神戸山手女子高等学校が大会歌の合唱を担当している。

国旗、大会旗、プラカードを持つのはボーイスカウト日本連盟所属のベンチャースカウト(高校生)であったが、2008年の80回大会から各出場校の生徒がプラカードを持つことになった。なお、甲子園球場の所在地は兵庫県だが、プラカードは大阪連盟所属のスカウトが持っていた。プラカードは2008年の80回大会では「全国高校書道コンクール」(毎日新聞主催)で上位に入賞した高校生が地域ごとに出場校の文字を書き入れるものに変更される[2]

1999年より、開会式の国旗掲揚時に「全日本学生音楽コンクール」(毎日新聞主催)声楽部門高校生の部の優勝者による国歌独唱が行われている。


センバツ球史に残る名勝負

作新学院対八幡商延長18回引き分け再試合(第34回・1962年)

前橋群馬)対比叡山滋賀)1-0完全試合(第50回・1978年)

東邦対上宮 3×-2の逆転サヨナラ勝ち(第61回・1989年)

金沢石川)対江の川島根)3-0完全試合(第66回・1994年)

花咲徳栄対東洋大姫路延長15回引き分け再試合(第75回・2003年)

関西対早稲田実業延長15回引き分け再試合(第78回・2006年)

平安対鹿児島工延長15回引き分け再試合(第80回・2008年)


歴史

1924年 第1回 和歌山中学大毎野球団に働きかけた事により[3]選抜中等学校野球大会として山本球場(のちの八事球場)で開催。

1925年 第2回 会場を夏の大会と同じ甲子園に変更。以降、甲子園で開催するようになる。

1926年 第3回 ラジオ中継開始。

1927年 第4回 大正天皇崩御の関係で4月下旬から開催し、決勝戦は5月に開催。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Smilegreen