センバツ球史に残る名勝負
作新学院対八幡商延長18回引き分け再試合(第34回・1962年)
前橋(群馬)対比叡山(滋賀)1-0完全試合(第50回・1978年)
東邦対上宮 3×-2の逆転サヨナラ勝ち(第61回・1989年)
金沢(石川)対江の川(島根)3-0完全試合(第66回・1994年)
花咲徳栄対東洋大姫路延長15回引き分け再試合(第75回・2003年)
関西対早稲田実業延長15回引き分け再試合(第78回・2006年)
平安対鹿児島工延長15回引き分け再試合(第80回・2008年)
歴史
1924年 第1回 和歌山中学が大毎野球団に働きかけた事により[3]、選抜中等学校野球大会として山本球場(のちの八事球場)で開催。
1925年 第2回 会場を夏の大会と同じ甲子園に変更。以降、甲子園で開催するようになる。
1926年 第3回 ラジオ中継開始。
1927年 第4回 大正天皇崩御の関係で4月下旬から開催し、決勝戦は5月に開催。優勝校のアメリカ遠征制度が開始。
1929年 第6回 今大会から勝利校の校歌演奏と校旗掲揚が開始される。
1932年 第9回 優勝校のアメリカ遠征制度廃止。
1933年 第10回 前年度優勝校の無条件出場制度が廃止される。
1942年から1946年までは太平洋戦争と、その終戦の混乱により大会は中止。
1954年 第26回 テレビ中継開始。
1959年 第31回 皇太子(今上天皇)の結婚式によって、決勝戦のテレビ中継が中止になる。
1962年 第34回 準々決勝の作新学院対八幡商の試合が春の甲子園としては初の延長18回引き分け再試合となった(春夏通じて2回目)。
1973年 第45回 山形県勢(日大山形)が出場したのを最後に空白県が消える。
1984年 第56回 大会2日目第1試合の佐賀商対高島戦で、佐賀商の選手の打球がラッキーゾーンの手前でワンバウンドしてから入ったにもかかわらず本塁打(満塁)となる。同大会まで歴代優勝校名入りの白いプレートを外野フェンスに掲示することがセンバツの風物詩となっていたが、この事件がきっかけで同日を以てプレートの掲示を取り止めた。