選抜高等学校野球大会
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エピソード


入場行進曲における流行曲使用

第34回大会(1962年)以降、入場行進曲においては前年の流行曲が使われることになった。1曲目は坂本九の『上を向いて歩こう』。選抜高等学校野球大会入場行進曲を参照


近畿以外の地域での全国大会開催

1924年の第1回大会だけ名古屋市山本=八事球場で開いた理由として、当時、夏の大会では関西近郊学校が8回中8回とも決勝に進出し、優勝は8回中5回だったため、主催者の毎日新聞社は「夏の大会(全国中等学校優勝野球大会)で関西近郊の学校が優勝確率の高いのは開催地の風土に関係するかを試すこと」と「東海地方の野球ファン拡大につなげるため」の2点を挙げていた。なお、開催地の風土に関しては、本大会では代表校8校中3校だった関西近郊の学校は、2校が初戦敗退、1校が2回戦敗退という結果になっている。

主催者の毎日新聞社は毎年開催地を変えて、全国各地で開催する構想だったが、翌年の第2回大会以後は高校野球(当時は中学野球)の聖地として知られる甲子園球場での開催に定着するようになり、近畿地域以外での全国大会開催は国体明治神宮大会を除くと春・夏を通してこれが最初で最後となっている。夏の大会における甲子園以外の開催は、豊中球場鳴尾球場西宮球場があるが、いずれも近畿地域の開催である。


初の引き分け再試合

春夏通して初めての引き分け再試合は山本球場で開催された第1回大会の1回戦、横浜商 - 市岡中の試合。 当時の制度は引き分けという制度が無く、勝負がつくまで試合を続けるというものだった。しかし山本球場には照明設備が無かったため、延長14回終了後に日没による引き分けとなった。

チーム1234567891011121314R
横浜商1043400010000013
市岡中0702020020000013


市岡中 21−13 横浜商(再試合)


前年度優勝校の無条件出場

第2回大会から1932年の第9回大会までは、前年度優勝校は地方大会に出場しなくても、無条件で全国大会に出場することができた。1933年の第10回大会からこの制度は廃止されたが、優勝校は次年度全国大会に出場し続けていた。1942年の大会が戦争で中止になったのを除き、優勝校が次年度全国大会に出場できなかったのは、1948年の第12回大会で優勝した京都一商(京都)が最初である。


優勝校のアメリカ遠征

1927年の第4回大会から、主催の大阪毎日新聞社が野球の本場メジャーリーグの見学や日米親善という趣旨により、この年から優勝校のアメリカ遠征が行われるようになった。この制度によってアメリカに遠征した優勝校は和歌山中(和歌山)、関西学院中(兵庫)、第一神港商(兵庫)、広島商(広島)の4校。

アメリカ遠征は夏休みを利用して行い、7月中旬から9月中旬までの長期に渡り、メジャーリーグの試合見学や地元高校との親善試合も行った。夏の大会開催中に主力選手がアメリカ遠征に行っているため、春の優勝校は控え選手で夏の大会予選を戦うことになった。その中で1927年の春の優勝校だった和歌山中は控え選手で夏の大会の予選を制し、全国大会に出場した。

1932年、外国チームとの試合を禁止する野球統制令を政府が出したことにより、それ以降は優勝校のアメリカ遠征は中止になった。

なお、春の優勝校のアメリカ遠征に関しては、春の大会を主催していた毎日新聞社が、朝日新聞社が主催していた夏の大会の興味をそぐ目的があったという陰謀説も存在する。


同県から4校の出場

1933年の第10回大会では出場校32校中、海草中、和歌山商、海南中、和歌山中と和歌山県から4校出場していた。また、1937年の第14回大会では出場校20校中、中京商、東邦商、享栄商、愛知商と愛知県から4校出場している。

なお現在では、通常枠での同一都道府県からの出場は2校までと決められている。21世紀枠を含めての3校出場は可能だが、地域性の問題もあるため選考されるのは非常に難しいと推測される。2001年の第73回大会には茨城県から水戸商常総学院藤代の3校が選出された例もある。通常秋季関東大会は1県2校出場だが開催県のみ3校出場で開催県だった茨城県の3校がすべてベスト4に入ったため選出された。


優勝旗

選抜大会の優勝旗は「大紫紺旗」と称されている。これは紫に近い色の糸を使っているためで、赤い糸を使っている夏の全国高等学校野球選手権大会の優勝旗は「大深紅旗」と称されている。現在の旗は2代目で、第35回記念大会が行われた1963年に第1回大会から使用されていた初代に代わり新調されたもの。初代と現在の旗との相違点は以下の3点。

大会名 - 初代は「全国選抜中等学校野球大会」に対し、現在は「全国選抜高等学校野球大会」。

主催新聞社名 - 初代は「大阪毎日新聞社」に対し、現在は「毎日新聞社」になっている。1943年「東京日日新聞」と「大阪毎日新聞」が題号を「毎日新聞」に統一した事により、商号も毎日新聞社に変更したため。

「VICTORY」の文字 - 初代は染めぬきだが、現在は金の糸を使って織られており、少し文字が大きくなっている。


初代の優勝旗を最後に手にしたのは作新学院高等学校(栃木)で、現在の優勝旗を最初に手にしたのは下関商(山口)だった。

春の全国大会には準優勝旗が存在する。夏の全国大会には存在しない。(木内幸男(当時常総学院監督)が夏にも準優勝旗があると勘違いしていたのは有名。)色は夏の優勝旗と同じ深紅で3代目である。

優勝旗は、大会の閉会式にて優勝校に授与され、翌年の大会の開会式にて前年優勝校から大会会長に返還される。その返還の際、優勝旗のレプリカが代わりに授与される。このレプリカの意匠は優勝旗とほぼ同じだが、模様・文字は全部染めぬきであり、“第○回”および校名が付加される。


連覇

本大会においての連覇は現在2例ある。

春の大会の連覇回開催年学校連覇備考
61929年第一神港商(兵庫)2連覇優勝校のアメリカ遠征2連続
71930年
531981年PL学園(大阪)2連覇学制改革後の連覇


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki