「ドラゴンボール」と共に、「SLAM DUNK」・「幽☆遊☆白書」(1990年 -)が大ヒットし、90年代の「少年ジャンプの三本柱」と称される。1991年3-4号で発行部数が600万部を突破。週刊誌が全国紙の発行部数を抜いたとして一般メディアも報道する。人気作品の連載を無理に継続させたため「マンネリ化」に落ち入り、「聖闘士星矢」や「魁!!男塾」などの連載が打ち切られる。集英社内の体制変化により編集者の異動が増え、一部の漫画家から編集部との意思疎通に不満が出る。「花の慶次」・「珍遊記 -太郎とゆかいな仲間たち-」(1990年 -)、「アウターゾーン」(1991年 -)、「BOY」(1992年 -)「地獄先生ぬ?べ?」・「NINKU -忍空-」・「とっても!ラッキーマン」(1993年 -)「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-」・「みどりのマキバオー」(1994年 -)など。
発行部数はさらに伸び続け1995年3-4号で653万部の歴代最高部数を達成する。この年の25号で「ドラゴンボール」が連載終了。直後に発行部数が減少に転ずる。1996年27号で「SLAM DUNK」が連載終了。発行部数急落に拍車がかかる。「遊☆戯☆王」・「封神演義」(1996年 -)「I"s」(1997年 -)。「セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん」(1995年 -)「幕張」(1996年 -)「花さか天使テンテンくん」・「世紀末リーダー伝たけし!」(1997年 -)のような特異な学園コメディギャグ漫画も話題となった。1996年52号で「こちら葛飾区亀有公園前派出所」が連載1000回を達成する。この時期は長年行われていなかったアイドルグラビアの掲載と『愛読者賞』の復活。後者は企画に参加した連載作家のほとんどが連載を休載するなどあり1回で終了。また、13年間親しまれた誌名ロゴの変更、バトル漫画から学園コメディ漫画の活発連載、経済面考慮における表紙のギミック廃止などの試行錯誤が続いた。
1995年から始まった発行部数減少に歯止めがかからず、1997年までに約230万部減少。10年をかけて伸ばした部数が2年で逆戻りし、1997年49号で『週刊少年マガジン』に発行部数を抜かれる。その一方で「ONE PIECE」(1997年 -)「HUNTER×HUNTER」(1998年 -)「NARUTO -ナルト-」(1999年 -)と王道的な少年漫画が新たな看板作品として登場。これらの作品は2000年代のジャンプの牽引役となり、2008年現在も連載が続いている。その他に「ROOKIES」・「ホイッスル!」・「シャーマンキング」(1998年 -)「ヒカルの碁」・「テニスの王子様」(1999年 -)などもヒットし、部数の降下傾向は続くものの、『週刊少年マガジン』についで2位は維持。
「BLACK CAT」・「ピューと吹く!ジャガー」(2000年 -)「ボボボーボ・ボーボボ」・「BLEACH」・「Mr.FULLSWING」(2001年 -)「いちご100%」・「アイシールド21」(2002年 -)など人気作を輩出。特に「DEATH NOTE」(2003年 -)は、アクションがほとんどなく台詞重視で話が進むなど、内容・表現ともに従来の「少年ジャンプ」の傾向とはかけ離れたものだったにも関わらず、単行本の初版100万部最速売り上げ記録を作り、実写映画化・アニメ化なども行われるヒット作となった。その後も「銀魂」(2003年 -)・「家庭教師ヒットマンREBORN!」・「D.Gray-man」(2004年 -)「魔人探偵脳噛ネウロ」(2005年-)「To LOVEる -とらぶる-」(2006年 -)がアニメ化されており、連載作品の単行本売り上げは好調に推移している。
漫画業界全体の発行部数が落ち込む中、2002年に『週刊少年マガジン』を抜いて再び漫画誌の発行部数1位となる。この時期から誌面を越えた活動が多く見られるようになる。1998年から開設した公式サイト「POP WEB JUMP」が拡張を続け「デジタルマンガ部門」が新設、サイト上で漫画を連載させるなど新しい試みが行われた。2000年からはジャンプフェスタが開催され、イベント限定グッズの販売や連載作家を招待するなどして盛況を続けている。
以下に挙げられている新人契約制度やアンケートシステムに関する詳細は、『少年ジャンプ』草創期に編集長を務めた西村繁男の著した書籍「さらばわが青春の『少年ジャンプ』」内に詳しい記述がある。
創刊以来新人作家を積極的に登用しており、新人のチャンスが多い雑誌であるといえる一方、本誌でデビューした作家は必ず集英社と専属契約を結ぶ必要があり、連載が短期に終わった場合も他社で仕事を行うことができない。各作品の欄外に、「○○先生の漫画が読めるのはジャンプだけ!」などと書いてあることに、その一端が受け取れる。
この点については新人を「飼い殺し」にしているとの批判も根強く、作家の中でも井上雄彦のように弁護士を立てて対抗した例もあれば[要出典]、車田正美、八神健、木多康昭、鈴木央など集英社から他社へと専属を変更した例もある。
また1960 - 1970年代にジャンプに連載を持っていた小室孝太郎は編集部の都合で人気のあった連載が打ち切られた上、この制度のために他誌で仕事ができず、作品発表の場が持てなかったことをインタビューにて語っている[3]。