軍事境界線_(朝鮮半島)
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非武装中立地帯

軍事境界線の南北には、韓国・北朝鮮双方の領土へ幅2km(合計4km)の非武装中立地帯 (DMZ:DeMilitarized Zone) が設定されている。非武装中立地帯と民間人統制地帯を隔てている「限界線」は、南北双方が休戦協定違反を理由に軍事境界線側に押し出したため、2007年現在ではDMZの幅が300mまで狭まった所もあり、幅が4kmのままの所は珍しい状況にある。極僅かの地域を除いて、一面に地雷が敷設されている。そのため人の寄り付かない場所となったことから、渡り鳥が翼を休める野鳥楽園と化している。韓国軍朝鮮人民軍スパイや工作員の侵入を定期的に監視しているが、地雷原を渡る亡命者も年間数人はいるという。両軍の間で銃撃戦が発生することも数多く、1960年代から1980年代にかけては、ほぼ毎年死傷者を出してきた。

休戦協定の第1条第10項の規定によって「民政と救済のための警備要員」を南北双方が1,000名ずつまで、非武装中立地帯内に立ち入れることになっている。このため両軍とも監視哨所を建てたり、潜伏斥候を入れたりしている[1]


民間人統制区域

民間人統制区域は、非武装中立地帯に沿って南側に設定されている一般住民の立ち入りを規制する区域である。

民間人統制区域と一般区域との境界に、民間人統制線(みんかんじんとうせいせん、??????、CCL:Civilian Control Line)がある。民統線(みんとうせん)とも呼ばれる。民間人統制線は、有刺鉄線を張り巡らせたりして一般の交通を物理的に規制しており、決められた検問所以外からの出入りは禁止されている。

このためこの事情を良く知らない観光客は、民間人統制線の鉄条網を見たときに、非武装中立地帯との境目や軍事境界線自体と間違えることが多い。そのため目の前の鉄条網を越えたら、すぐに北側地域と誤認識することがしばしばある。共同警備区域などの特殊地域、南北が直接面している河川や海上、一部開放されつつある鉄道道路などを除いた、通常の軍事境界線付近は、非武装中立地帯と民間人統制区域の二重の緩衝地帯によって、肉眼で見えないばかりか近づくこともできない。

民間人統制線は、朝鮮戦争休戦後の1954年2月に軍事境界線付近の保安のため、アメリカ陸軍が境界線付近の住民が帰ってくる事を規制する帰農線(きのうせん、???)を画定したことに始まる。その後、この地域の警備を引き継いだ韓国軍が1958年6月に、民間人統制線と改称した。

この区域は韓国側が自主的に設けている地域であり、非武装中立地帯の外側であるため韓国陸軍部隊が駐屯している。またこの区域には地雷は存在しない。朝鮮戦争休戦前から土地があるなどの理由で居住している住民がいる。また1980年代から主に退役軍人らが開墾を始めて入植した屯田兵のような場所もある[1]

民間人統制線を越えて民間人統制区域に入る場合、多くは限られたルートのみであり入域には検問所での手続きが必要である。 区域内に居住している住民・軍人などの関係者以外は、厳格に指定された観光用ルートのみ、事前手続きを持って入域できる。

2005年までは、大出力の拡声器を使っての相手向け宣伝「拡声器放送」が南北相互に行なわれていた。政治的内容が大半であったが、近年では殆どが音楽であった。これらは都羅展望台で聴く事が出来た。民間の韓国人が立ち入ることができる鰲頭山(オドゥサン)統一展望台付近では盧武鉉政権になってから南北の合意により中止された。


交通の分断


鉄道民間人統制線を越えて北側に続く京義線。鉄条網が分断の現実を物語る。右側の橋脚は旧上り線(ソウル・釜山下関方面)のもので、かつてここが複線の大動脈であったことを示す

日本統治時代朝鮮においては、現在軍事境界線となっている線を跨いで京義線京元線金剛山電気鉄道東海北部線といった4本の鉄道が存在したが、いずれも第二次世界大戦後の南北分断と朝鮮戦争戦渦の中で運行が停止され、後者2つに関しては営業が再開されることなく事実上廃線となり、前者2つは復旧したものの南北に線路が分断された状態となった。その後、韓国側では線路分断地点(京義線?山駅、京元線新炭里駅)に、「鉄馬は走りたい」といった南北を結ぶ鉄道の再開通を願う看板が置かれたりしていた。

京釜線と並んで、ソウル満州中国を結ぶ朝鮮半島における大動脈だった京義線は、民間人統制線の横たわる臨津江の手前で分断されていたが、2000年金大中金正日両首脳の南北首脳会談によって、京義線再連結工事の構想が持ち上がり、続く当事者会談によって正式に連結作業が合意された。韓国では、2002年に臨津江を越えて境界線の近くの都羅山駅まで延伸し、2003年より北側の開城まで再開通させるための工事が行われている。

2007年現在、開城では開城工業地区の造成が進み、韓国企業の工場で北朝鮮労働者が働くようになっているが、南北鉄道の連結は工事こそほぼ終わっているものの、北朝鮮の軍部の反対もあり頓挫した状態であった。

また、東海岸ではもう一つの南北連絡鉄道である東海線東海北部線嶺東線東海南部線の連結)の再開通工事が行われており、北側の金剛山地区では韓国企業の現代による観光開発が行われ、陸路・海路で韓国人が北側へ入ることができるようになるなど、2000年代に入ってからは軍事境界線が少しずつ開放されてきている傾向がある。

2007年5月17日、京義線では56年ぶり、東海線では57年ぶりに軍事境界線を越える列車が試運転された。


道路



海上

軍事境界線は、朝鮮戦争の休戦条約に基づき陸上に設定されているが、海上には設定されていない。北緯38度線より北の黄海上の幾つかの島嶼を確保していた国連軍側は、休戦条約発効後の1953年8月に北方限界線 (Northen Limit Line) を宣言し、そこを事実上の境界としている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki