日本統治時代の朝鮮においては、現在軍事境界線となっている線を跨いで京義線・京元線・金剛山電気鉄道・東海北部線といった4本の鉄道が存在したが、いずれも第二次世界大戦後の南北分断と朝鮮戦争戦渦の中で運行が停止され、後者2つに関しては営業が再開されることなく事実上廃線となり、前者2つは復旧したものの南北に線路が分断された状態となった。その後、韓国側では線路分断地点(京義線?山駅、京元線新炭里駅)に、「鉄馬は走りたい」といった南北を結ぶ鉄道の再開通を願う看板が置かれたりしていた。
京釜線と並んで、ソウルと満州・中国を結ぶ朝鮮半島における大動脈だった京義線は、民間人統制線の横たわる臨津江の手前で分断されていたが、2000年の金大中・金正日両首脳の南北首脳会談によって、京義線再連結工事の構想が持ち上がり、続く当事者会談によって正式に連結作業が合意された。韓国では、2002年に臨津江を越えて境界線の近くの都羅山駅まで延伸し、2003年より北側の開城まで再開通させるための工事が行われている。
2007年現在、開城では開城工業地区の造成が進み、韓国企業の工場で北朝鮮労働者が働くようになっているが、南北鉄道の連結は工事こそほぼ終わっているものの、北朝鮮の軍部の反対もあり頓挫した状態であった。
また、東海岸ではもう一つの南北連絡鉄道である東海線(東海北部線・嶺東線・東海南部線の連結)の再開通工事が行われており、北側の金剛山地区では韓国企業の現代による観光開発が行われ、陸路・海路で韓国人が北側へ入ることができるようになるなど、2000年代に入ってからは軍事境界線が少しずつ開放されてきている傾向がある。
2007年5月17日、京義線では56年ぶり、東海線では57年ぶりに軍事境界線を越える列車が試運転された。
軍事境界線は、朝鮮戦争の休戦条約に基づき陸上に設定されているが、海上には設定されていない。北緯38度線より北の黄海上の幾つかの島嶼を確保していた国連軍側は、休戦条約発効後の1953年8月に北方限界線 (Northen Limit Line) を宣言し、そこを事実上の境界としている。北朝鮮側は、これを黙認してきたが、1999年9月に北方限界線の南方に海上軍事境界線の設定を宣言した。しかし、これは実効力を伴っておらず、韓国側が北方限界線の効力を保っているものの、侵入してきた北朝鮮艦船と銃撃戦が発生することがある。
軍事境界線を舞台にした映画
『JSA』(韓国映画、2000年)
出典^ a b c 軍事研究2007年3月号 「韓国の戦時即応体制」
関連項目
韓国軍
朝鮮人民軍
板門店
自由の声
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更新日時:2008年7月29日(火)05:46
取得日時:2008/08/17 18:42