自己責任(じこせきにん)という言葉は現在多義的な言葉となっている。
第一に、「自己の危険において為したことについては、他人に頼り、他人をあてにするのでなく、何よりもまず自分が責任を負う」[1]という意味がある。「お互いに他人の問題に立ち入らない」という価値観によるものである。アメリカ社会における国家観に立脚した行政改革・司法改革による事後監視、事後救済社会における基本原則の一つである。もっとも、この原則は十分な情報と判断能力がない場合には妥当しない。
第ニに、「個人は自己の過失ある行為についてのみ責任を負う」という意味がある。個人は他人の行為に対して責任を負うことはなく、自己の行為についてのみ責任を負うという近代法の原則のことである。
第三に、「個人は自己の選択した全ての行為に対して、発生する責任を負う」という意味がある。何らかの理由により人が判断能力を失っていたり、行為を強制されている場合は、本人の選択とは断定できないため、この限りではない。
なお、「証券取引による損失は、たとえ予期できないものであっても全て投資者が負担する」といわれることがあるが、これは、上記第一あるいは第三の意味の責任が証券取引の分野に発現したものと捉えられよう。証券取引はもともとリスクの高いものであるから、たとえ予期できない事情により損害が発生したとしても、投資者が損失を負担しなければならないということである。(参照⇒投資家の自己責任原則、損失補填の禁止)
例えば、保証されていないWikipediaに各自の判断で参加することによって生じた損害は、全て自己責任に帰される、というように用いられる。この言葉には英語のOwn riskの直訳的な意味が含まれており、契約などにおける免責事項の根拠として広く用いられている。ただ、例えば窓に施錠し忘れて邸内の所持品が窃盗にあったケースにおいては、「窃盗犯によって所持品が滅失・毀損・消費され、取り戻し不能になる危険が発生すること」が自己責任の内容であり、自己責任を理由にして、警察官の職務怠慢が正当化されたり、捜査費用を被害者に負担させられるわけではなく、また窃盗犯の刑罰が軽減されたり、所有権が国家により没収されるわけではない。また司法手続によらない自力救済(英:self-help)は、司法手続の確立した現在の社会においては急迫の場合を除いて原則として禁止される。
経済学では、外部性の問題がある。たとえば企業が大気を汚染することを負の外部性と呼ぶ。これに対し、たとえば浄化設備を設置した政府が大気を汚染した企業から税を取った場合、これを内部化(自己責任化)という。ほかにはリスクとインセンティブのトレードオフが説かれる。たとえば保険会社が全てのリスクを負担すると仮定した場合、被契約者は危険を回避する意欲を完全に喪失するものと考えられる。これをモラルハザードという。
「自己責任」は本来、他者に対する責任転嫁をいましめる言葉であるが、他者に対して責任を負うべき者の責任回避に利用される危険性がある(たとえば前述の例では警官の職務怠慢が正当化される訳ではない)。
1999年8月14日に起きた玄倉川水難事故の場合、上流の玄倉ダムが放流を中止しなかったことや、消防・警察の対応が迅速ではなかったと、事故直後はマスコミの一部が関係機関の責任を追及した。しかし、玄倉ダムは洪水調整機能を持たず貯水量も少ない発電用ダムで、降雨時はゲートを開ける設計となっており、ゲートを閉鎖すればダム自体が崩壊する危険があった。また、当日は大雨でヘリの飛行は不可能な天候であり、現場は本来一般車立ち入り禁止の山岳地帯で、はしご車やクレーンなど大型機材の搬入は困難だった。一方、遭難者側は前日よりダム管理事務所や警察官、地元住民から再三にわたり退避勧告を受けたにもかかわらずこれを無視し、さらに救助を試みるレスキュー隊に悪態をつくなど非常識な態度が目立ち、子供4人を含め13人の犠牲者を出したものの厳しい批判をうけている。手軽に自然を満喫できるオート・キャンプがブームになるなか、基本的なマナーや野外活動の知識が欠落したキャンパーも目立つようになり、遭難者救助は関係機関の任務とはいえ、こうした「常識を逸脱する行為の結果として自ら招いた危険」は自己責任という声が強まった。
2004年4月7日のイラク日本人人質事件の際、事件の経緯から自己責任の在り方について議論が沸き起こり、海外メディアに紹介されるまでに至った。中には、株価の下落も被害者の責任と主張する者が現れた[2]。このケースでは被害者の家族が、被害者が危険を承知でイラクへ渡航したにもかかわらず、記者会見で開口一番自衛隊の撤退を訴え、自衛隊を派遣した政府を非難をしたことから、多くの国民は彼らが「反自衛隊の政治運動のため、政府の制止を振り切って、わざと危険なイラクにわたって、わざとつかまり、反自衛隊運動を展開した」と受け止め、こうした一連の家族の行動が非難の対象となった。
2005年12月に発覚したマンションの耐震偽装問題については、国が補償するという方針を打ち出したことについて「安いマンションを買った住民の自己責任」との批判が国土交通省によせられた。ここでいう自己責任はもはや「リスクを認識できた可能性がある以上、結果についても当人が全責任を負うべき」、あるいは「リスクを認識できた可能性がなくても、個人の取引行為によって生じた損害を国家が保護するべきではない」という意味にまで拡大している(後者の意味は前述した「自己責任」の第一の意味に近い)。
なお、JR福知山線脱線事故で、列車が衝突したマンションの住民に対して自己責任論を唱える人もいる。マンションは線路のカーブから近接した場所にあり、最悪の事態も想定できたであろうから、損害の一部は住民が自己責任として負担すべきという。しかし、これは、国家が私人を救済すべきかという意味で使われてきた自己責任論とは本質的に異なる。この論者は、私人間での不法行為に基づく損害賠償債務について「被害者が事故の発生するリスクを認識できた可能性がある以上、事故発生につき被害者に過失(結果回避義務違反)がなくても、損害の一部ないし全部を被害者が負担すべき(法的には、被害者に過失がなければ過失相殺はされない)」と主張しているのである。
ほかに、2007年に財政再建団体になった夕張市の事例について、自治体の住民に対する説明会で住民が激昂する様子が報道された。これに対し、元市長の中田鉄治は炭鉱が在りし時代から21世紀に至るまで数十年職に就いており、炭鉱閉山後 は観光振興策を積極的に行い、結果的に赤字垂れ流しの箱物行政を続け、財政赤字を放置し続けたにもかかわらず、住民が市長を交代させなかった(つまり支持し続けた)のも事実であり、普段から地元の政治に無関心な住民へ一種の「自己責任」を問う主張もある。塩川正十郎は『ウェークアップ!ぷらす』においてこれを主張している。
果ては格差社会・過労死を肯定する口実にまで用いる経営者(奥谷禮子)も存在する。
ただ、例えば2007年タリバン韓国人人質事件の際に韓国内でも自己責任論が少なからず現れたことでもわかるように「自己責任」に関する論議が日本特有の現象ではないことは明らかである。
用語
証明責任
中間的責任
危険責任
担保責任
責任財産強制執行の対象となる財産。
報償責任自己の行為によって利益を得ている者は、利益を得る過程で他人に与えた損害を、その利益から賠償しなければならない責任をいう。