心神耗弱とは、精神の障害等の事由により事の是非善悪を弁識する能力(事理弁識能力)又はそれに従って行動する能力(行動制御能力)が著しく減退している状態をいう。心神耗弱状態においては、刑法上の責任が軽減されるために、刑事裁判で心神耗弱が認定されると刑が減刑されることになる(必要的減軽)。心神耗弱とされるの者の数は心神喪失よりも多く、裁判で心神耗弱とされた者の数は10年間の平均で80.4名である(犯罪白書同上)。
心神喪失および心神耗弱の例としては、精神障害や覚せい剤の使用によるもの、酩酊などが挙げられる。ここにいう心神喪失・心神耗弱は、医学上および心理学上の判断を元に、最終的には「そのものを罰するだけの責任を認め得るか」という裁判官による規範的評価によって判断される。特に覚せい剤の使用に伴う犯罪などに関してはこの点が問題となることが多いが、判例ではアルコールの大量摂取や薬物(麻薬、覚せい剤など)などで故意に心神喪失に陥った場合、刑法第39条1項「心神喪失者の行為は、罰しない。」は決して適用されないといわれている。(原因において自由な行為も参照してもらいたい。) また、殺人等の重犯罪を行った者については近年の世論の変化(厳罰化を強く望む声という説もある)により心神耗弱として認定されることはあっても、心神喪失として認定されることは極めて稀である。特に罪が重い者については例外なく極刑が言い渡される判例が多く、被告人の弁護側が心神喪失の認定を求めても、認定者とするか否かの判断を避けて判決を行う傾向にある。
心神喪失と認められると、不起訴になるか、起訴されても無罪となる、ということに関しては、社会的に抵抗感を抱く向きもある。テレビドラマシリーズ「怪奇大作戦(第24話「狂鬼人間」)」や、映画「39〜刑法第三十九条〜」などが取り上げ、問題提起を行ったことがある。DEATH NOTE (映画)では薬物乱用による中毒症状で殺人事件を犯した犯人が心神喪失で無罪となったが、それが演技であったような発言を行うシーンがある。また、2001年6月8日に大阪教育大学教育学部附属池田小学校で起こった事件(「附属池田小事件」)の犯人が、何度も不起訴となった経歴の持ち主であったことも報道された。この事件をきっかけに、心神喪失と認められた者に対する処遇への、司法の関与が必要との考え方が注目され、「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律」が制定され、保護観察所に配置された社会復帰調整官(精神保健福祉士)を中心に、医療観察を行う枠組みがつくられた。
被告人の精神状態が刑法39条にいう心神喪失又は心神耗弱に該当するかどうかは法律判断であって専ら裁判所にゆだねられるべき問題であることはもとより、その前提となる生物学的、心理学的要素についても、上記法律判断との関係で究極的には裁判所の評価にゆだねられるべき問題であり、専門家の提出した鑑定書に裁判所は拘束されない(最決昭和58年9月13日)。しかし ながら、生物学的要素である精神障害の有無及び程度並びにこれが心理学的要素に与えた影響の有無及び程度については、その診断が臨床精神医学の本分であることにかんがみれば,専門家たる精神医学者の意見が鑑定等として証拠となっている場合には、鑑定人の公正さや能力に疑いが生じたり、鑑定の前提条件に問題があったりするなど、これを採用し得ない合理的な事情が認められるのでない限り、その意見を十分に尊重して認定すべきものである(最判平成20年4月25日)。
被告人が犯行当時統合失調症にり患していたからといって、そのことだけで直ちに被告人が心神喪失の状態にあったとされるものではなく、その責任能力の有無・程度は、被告人の犯行当時の病状、犯行前の生活状態、犯行の動機・態様等を総合して判定すべきである(最決昭和59年7月3日)。
刑事訴訟法上も心神喪失と言う概念があり、被告人が心神喪失になった場合は公判が停止される(刑事訴訟法314条)。被告人の心神喪失が恒久的なもので回復の見込みがない場合は、公判が打ち切られる。
なお、ここにおける心神喪失は被告人としての重要な利害を弁別し、それに従って相当な防御をすることのできる能力を欠く状態をさすものであり、その意味内容は刑法上の心神喪失と必ずしも同一ではない。会話・文字・点字・手話等のコミュニケーション能力を一切もたない者は、刑法上心神喪失となるわけではないが、刑事訴訟法上は心神喪失となることがある。
刑法第41条は14歳に満たない者を刑事未成年とし、その行為の不処罰を定めている。これは14歳未満の者を一律に責任無能力者とすることにより、その処罰を控えるという政策的意味を持つものと解されている。14歳に満たずに触法行為をした者は、少年法により触法少年として審判に付され、要保護性に応じて保護処分を受けることになる。
関連項目(刑法)
刑法
責任主義
原因において自由な行為
少年法
心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律
民法における責任能力とは、すなわち不法行為に関する責任を負う能力であり、その行為の責任を弁識するに足るべき知能を備えていることが要求される( ⇒712条)。責任能力を持たないものに対しては不法行為責任が認められず、損害賠償を請求することができない。
その場合には、これら責任無能力者の監督者が原則として責任を負うことになっている( ⇒714条)。ここで監督者とは、親権者、成年後見人等の監督義務者、代理監督者、事実上の監督者であり、監督者としての義務を怠ったことについて責任を負うのであり、責任無能力者の違法行為自体について直接責任を負うのではない。また、責任能力が肯定された未成年者の監督者についても、監督義務違反があれば未成年者との共同不法行為( ⇒719条)という形で責任が認められる場合がある。
不法行為における未成年者の責任能力には、刑事事件における刑事未成年のような画一的基準は存在しない。従って、各事例において行為の種類および当該少年の成育度などを考慮して判断されることになる。一般的には12歳ぐらい(小学校卒業程度)を基準として責任能力の有無が判断されると言われている。
⇒713条は、精神上の障害によって行為の責任を弁識する能力を欠く状態にある者について、その状態にあるときに行った不法行為の損害賠償責任を負わない旨を定めている。ただし、故意または過失によって一時的に心神喪失状態に陥った者は不法行為責任を免れないとしている。