元三段目力士の豊桜の二男で、兄は北の湖部屋の北桜。豊桜の四股名は父の現役時代と同じである。実家は料理店(ちゃんこ店「角力太郎」)。中学3年までは柔道をやっていたが、柔道では生活していけないと思い、入門を決意した。兄が既に入門していたため違う部屋に入門しようと考え、立田川部屋に入門した。
初土俵から僅か4年で幕下に昇進した。しかし、怪我も多く幕下中位で一進一退を繰り返していた。1998年9月場所には十両に昇進。兄・北桜は、その前の場所に新十両を果たしたが公傷で全休したため、兄弟2人揃って初めての関取の場所となった。2000年に立田川親方が定年退職で部屋を閉じたため、十文字、敷島等と共に陸奥部屋に移籍した。
兄北桜に遅れること2年余り、2003年11月場所に新入幕。初土俵から所要88場所での新入幕は史上3位のスロー出世である。その後はしばし十両と幕内を往復するが、三度目の入幕を果たした2004年7月場所では12勝3敗で優勝次点の星を挙げ、敢闘賞を受賞した。初土俵から所要92場所での初三賞受賞も史上3位タイのスロー記録である。翌9月場所では、これまでタイミングが合わず成せなかった兄弟同時幕内を果たした。その場所限りで北桜が十両に陥落してしまったが、1年半後の2006年1月場所には、史上初の兄弟同時幕内昇進を果たした。
3月場所で負け越し2場所で十両に陥落したものの、5月場所では当時十両2場所目だった寶智山、弓取りを務める皇牙との2巡にわたる巴戦を制して十両優勝し、6回目の幕内復帰を果たした。
2006年9月場所では、千秋楽で隆乃若に勝ち11勝4敗で並び優勝決定戦に持ち込んだが、優勝決定戦で敗れ2度の目の十両優勝は果たせなかった。
2008年1月初場所前、食事後に部屋の若手力士の頭を調理器具で殴り、8針縫うけがを負わせ、相撲協会から厳重注意を受け、3か月間30%の減俸となった。6月19日、傷害容疑で書類送検。
略歴
初土俵:1989年3月場所
新十両:1998年9月場所
新入幕:2003年11月場所
場所地位勝数敗数休場その他
平成15年(2003年)11月東前頭14枚目690新入幕
平成16年(2004年)3月西前頭15枚目690再入幕
平成16年(2004年)7月東前頭14枚目1230再入幕、敢闘賞
平成16年(2004年)9月東前頭5枚目5100-
平成16年(2004年)11月東前頭8枚目3120-
平成17年(2005年)3月西前頭14枚目870再入幕
平成17年(2005年)5月西前頭10枚目4110-
平成17年(2005年)7月西前頭16枚目960-
平成17年(2005年)9月西前頭11枚目4110-
平成18年(2006年)1月西前頭12枚目780再入幕
平成18年(2006年)3月東前頭14枚目4110-
平成18年(2006年)7月西前頭14枚目5100再入幕
平成18年(2006年)11月東前頭8枚目5100再入幕
平成19年(2007年)1月東前頭12枚目3120-
通算811290敢闘賞1回
2008年7月場所終了現在
通算成績:578勝551敗20休(117場所)
幕内成績:81勝129敗
幕内在位:14場所
各段優勝
幕下優勝:2回(1997年9月場所、2002年5月場所)
三段目優勝:1回(1993年5月場所)
十両優勝:1回(2006年5月場所)
三賞・金星
敢闘賞:1回 (2004年7月場所)
改名歴
向 俊昭(むこう としあき)1989年3月場所
豊櫻 俊昭(とよざくら - )1989年5月場所 - 1992年5月場所
豊桜 俊昭(読み方同じ)1992年7月場所 - 1996年11月場所
豊桜 勇吉( - ゆうきち)1997年1月場所 - 1997年11月場所
豊桜 秀吉( - ひでよし)1998年1月場所 - 1998年11月場所
豊桜 嘉人( - よしと)1999年1月場所 - 2003年5月場所
豊桜 保勝( - やすかつ)2003年7月場所 - 2006年11月場所
豊桜 俊昭(とよざくら - )2007年1月場所 -
外部リンク
⇒豊桜 俊昭 - goo 大相撲
カテゴリ: 1974年生 | 広島県出身の大相撲力士 | 広島市出身の人物
更新日時:2008年8月1日(金)09:26
取得日時:2008/09/21 04:41