中華民国(台湾)の政治家
謝長廷
謝長廷
謝長廷
生年月日1946年5月18日(62歳)
出生地台北市
出身校台湾大学
京都大学大学院
所属政党民主進歩党
配偶者游芳枝
民主進歩党主席代理
就任日2008年1月14日
退任日2008年5月20日
行政院長
就任日2005年2月1日
退任日2006年1月25日
高雄市長
当選回数2
就任日1998年12月25日
退任日2005年1月31日
表・話・編・歴
謝 長廷(しゃ ちょうてい、Xi? Ch?ngt?ng)は中華民国(台湾)の弁護士、政治家。最終学位は法学修士(京都大学)。陳水扁政権下で行政院院長(首相)などをつとめる。2008年中華民国総統選挙で民主進歩党公認総統候補として出馬したが中国国民党公認候補の馬英九に敗れた。
目次
1 出生と京大留学
2 政治活動
2.1 政界進出
2.2 高雄市市長・民進党党主席
2.3 行政院院長
2.4 台北市市長選挙出馬
2.5 総統選挙出馬
3 年表
3.1 学歴
3.2 職歴
4 関連項目
5 参考文献
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台湾台北市延平区(現大同区)大稲?(だいとうてい)に、漢方医の5子の次男として生まれる。中学時代から器械体操に打ち込み、高校時代には台湾省運動会(国体に相当)に出場、吊り輪競技で優勝した。
国立台湾大学法律系(法律学科)に入学。在学中に司法試験に合格。文部省(当時)奨学生として、京都大学に留学経験がある。
各種表記
簡体字??廷
繁体字謝長廷
ピン音Xi? Ch?ngt?ng
発音転記シエ・チャンティン
台湾語: Chi? Ti?ng-t?ng,
Si? Ti?ng-t?ng
チャー(シャー)・ティオンティン
ラテン字Hsieh4 Ch'ang2-t'ing2
英語名Frank Hsieh (フランク・シエ)
■ ポータル ■テンプレート ■ノート
1981年台北市議員に当選、1983年には「党外」急進勢力の団体「党外編輯作家聯誼會」(編聯会)、1984年には穏健派の団体「党外公共政策研究会」(公政会)のそれぞれ創立メンバーとなる。1986年9月28日に党外2団体が集まって民主進歩党が結成された際には、党名の提案者となり、綱領草案作成にも中心となって働いた。 1986年 立法委員に立候補するが落選。1989年、92年の立法委員選挙で連続2期当選した。
1998年12月に実施された高雄市長選挙に立候補。4565票と僅差で当選した。 ⇒[1] ⇒[2]。 2000年には民進党主席も兼任。しかし高雄市市長と民進党主席の兼任という形式に、一部支持者から批判を受けた。 これを受け2002年に民進党主席を続投しないことを表明、同年末の高雄市市長選挙で再選した。 謝長廷の高雄市市長としての最大の実績には、河川や水道の水質を大幅に改善させたことが挙げられる。 上水道は水質の改善、下水道整備も進めた。 また、交通インフラや文化建設・史跡保存にも取り組んだ。
2005年1月、高雄市市長を任期途中で辞任し、行政院院長に就任した。 院長として“和解と共生”理念を主張、野党・国民党や中国など従来の敵対勢力との対話を呼びかけた。2005年12月の県・市長選挙で民進党が惨敗した責任を負う形で、2006年1月行政院院長を辞任した。
2006年末台北市市長選挙に出馬、国民党公認候補の?龍斌に破れた。
台北市市長選挙後2007年3月から始まった予備選挙に立候補。同年5月党員投票で得票順位トップとなり、予定されていた世論調査を待たず、公認候補者に指名された。 2007年8月には予備選挙で得票2位だった蘇貞昌を副総統候補に指名した。
2008年1月12日に実施された立法委員選挙の結果、定数113議席のうち民進党は僅か27議席と結党以来の大惨敗を喫し、当初50議席を目標に掲げていた民進党にとって大きな誤算となった。 これを受け、中間層の取り込みを行ったり、対抗馬である国民党公認候補馬英九候補周辺をめぐる様々な疑惑を批判する選挙戦を展開した。
3月に入ってからは、馬英九陣営が打ち出していた「両岸共同市場」「一つの中国市場」を台湾を中国と事実上統一させ、台湾の庶民の暮らしを脅かす危険なものと批判した。
2008年3月20日、李登輝が公式に謝に一票を投じると表明した。その理由は両岸共同市場は台湾の独立を危うし、また国民党が四分の三を占める現状でさらに総統も国民党がなれば独裁政権に逆戻りする、というものである。