1981年台北市議員に当選、1983年には「党外」急進勢力の団体「党外編輯作家聯誼會」(編聯会)、1984年には穏健派の団体「党外公共政策研究会」(公政会)のそれぞれ創立メンバーとなる。1986年9月28日に党外2団体が集まって民主進歩党が結成された際には、党名の提案者となり、綱領草案作成にも中心となって働いた。 1986年 立法委員に立候補するが落選。1989年、92年の立法委員選挙で連続2期当選した。
1998年12月に実施された高雄市長選挙に立候補。4565票と僅差で当選した。 ⇒[1] ⇒[2]。 2000年には民進党主席も兼任。しかし高雄市市長と民進党主席の兼任という形式に、一部支持者から批判を受けた。 これを受け2002年に民進党主席を続投しないことを表明、同年末の高雄市市長選挙で再選した。 謝長廷の高雄市市長としての最大の実績には、河川や水道の水質を大幅に改善させたことが挙げられる。 上水道は水質の改善、下水道整備も進めた。 また、交通インフラや文化建設・史跡保存にも取り組んだ。
2005年1月、高雄市市長を任期途中で辞任し、行政院院長に就任した。 院長として“和解と共生”理念を主張、野党・国民党や中国など従来の敵対勢力との対話を呼びかけた。2005年12月の県・市長選挙で民進党が惨敗した責任を負う形で、2006年1月行政院院長を辞任した。
2006年末台北市市長選挙に出馬、国民党公認候補の?龍斌に破れた。
台北市市長選挙後2007年3月から始まった予備選挙に立候補。同年5月党員投票で得票順位トップとなり、予定されていた世論調査を待たず、公認候補者に指名された。 2007年8月には予備選挙で得票2位だった蘇貞昌を副総統候補に指名した。
2008年1月12日に実施された立法委員選挙の結果、定数113議席のうち民進党は僅か27議席と結党以来の大惨敗を喫し、当初50議席を目標に掲げていた民進党にとって大きな誤算となった。 これを受け、中間層の取り込みを行ったり、対抗馬である国民党公認候補馬英九候補周辺をめぐる様々な疑惑を批判する選挙戦を展開した。
3月に入ってからは、馬英九陣営が打ち出していた「両岸共同市場」「一つの中国市場」を台湾を中国と事実上統一させ、台湾の庶民の暮らしを脅かす危険なものと批判した。
2008年3月20日、李登輝が公式に謝に一票を投じると表明した。その理由は両岸共同市場は台湾の独立を危うし、また国民党が四分の三を占める現状でさらに総統も国民党がなれば独裁政権に逆戻りする、というものである。
同日、謝長廷陣営は記者会見で、国民党が4億7千万台湾ドルを使って買収しようとしている疑惑があると指摘した。
2008年3月22日、総統選挙において544万5239票(41.55%)の得票にとどまり、756万8724票(58.45%)を獲得した対立候補の馬英九に敗北した。
学歴
1967年 台湾大学法律系(法学部法律学科)に合格。
1970年 在学中に司法試験(弁護士)に合格。
1971年 台湾大学法学部卒業。同大学大学院に進学。
1972年 日本の京都大学大学院に留学。
1973年 京都大学大学院法学研究科修士課程修了。
1976年 京都大学大学院法学研究科博士課程単位取得中途退学。
職歴
1981年−1989年,台北市議会第4、5代議員。
1986年−1996年,民主進歩党中央常務委員連続6期。
1989年−1996年,第1,2,3代立法委員。
1996年−1998年,民主進歩党中央評議委員会主任委員(委員長)。
1998年12月,高雄市市長(民選第2代)当選。
2000年7月,民主進歩党第9代党主席当選。
2002年12月,高雄市市長(民選第3代)再選。
2005年1月−2006年1月、行政院院長。
2008年1月,民主進歩党主席代理。
参考文献
郭瓊俐『打鐵街少年:謝長廷的故事』台北:布克文化、2005年、繁体中文、ISBN:9868113970
郭瓊俐『逆転勝利 謝長廷の生命美学』台北:天下文化、2007年12月、日本語(原著題名は『逆中求勝 謝長廷的生命美學』、天下文化、2007年12月、繁体中文、ISBN:9789862160312)
謝長廷『幸福台灣.幸福經濟-謝長廷承諾』 台北:播種者、2008年2月、繁体中文、ISBN:9789576966361
先代:
林義雄民主進歩党主席
2000年-2002年次代:
陳水扁
先代:
陳水扁民主進歩党主席(代理)
2008年次代:
蔡英文
カテゴリ: 台湾の政治家 | 1946年生
更新日時:2008年6月1日(日)09:24
取得日時:2008/07/02 20:03