これに対して后妃の諡号は、上代末頃にはすでに見られなくなり、代わって生前から使われる女院号が盛んに宣下された。明治時代に至り、女院号の廃止を承けて后妃にも諡号が奉られるようになる。以来、孝明天皇の嫡妻「英照皇太后」、明治天皇の嫡妻「昭憲皇太后」、大正天皇の嫡妻「貞明皇后」、昭和天皇の嫡妻「香淳皇后」の4人が追諡を受けている。
臣下に賜る諡としては、右大臣在任中に没した藤原不比等(文忠公・淡海公)が嚆矢であるが、後の世には摂関・太政大臣を務めて在俗のまま没した者に限って漢風諡号と国公が贈られ、貞観14年(872年)9月4日の藤原良房(忠仁公・美濃公)、藤原忠平(貞信公)をはじめ、摂関期に9例を数えた。
また江戸時代には朱子学などの影響で武家、特に大名の間でも諡を贈る習慣が生まれた。
僧に関しては、清和天皇の貞観8年(866年)7月、最澄に伝教、円仁に慈覚の大師号が初めて贈られ、後には国師号、菩薩号なども諡として併せて贈られた。
注釈^ 小島毅「国家祭祀における軍神の変質-太公望から関羽へ-『決定版「三国志」考証事典』別冊歴史読本 新人物往来社 1996年(平成8年) ISBN 4404024096
関連項目
同諡号廟号一覧
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更新日時:2008年7月30日(水)14:11
取得日時:2008/08/20 07:14