中国では清朝の康煕期まで、チベットの総称としては吐蕃、土伯特、唐古特等の用語が使用されていた。雍正のチベット分割(1723-25)の際、ガンデンポタンの管轄下におかれた領域が「西蔵」の領域で、「青海」とともに藩部と位置づけられた。のこる各地は隣接する甘粛、四川、雲南等の諸省に分属させ、「内地」に帰属するものとされた。
清代の西蔵:理藩院管轄下の藩部。1723-24 清朝、青海地方に侵攻、グシ・ハン一族を制圧し、その属領を接収。1725 グシ・ハン一族の旧属領のうちカム地方をガンデンポタン領と四川、雲南との間で三分割。1732 グシ・ハン一族の旧属民の七十九族をタンラ山脈を境に南北に2分、北部の玉樹四十族は青海に、南部のホル三十九族はガンデンポタン(1751年以降は駐蔵大臣)に帰属。地域単位としての西蔵の成立。19世紀 グンポナムギャルの「乱」を契機に、ガンデンポタン領がディチュ河東岸にも拡大。1905-1911 趙爾豊、西蔵よりカム地方の西部を削り、雍正のチベット分割の際に四川省に組み込まれていたカム地方東部とあわせて西康省を、またガンデンポタンによる統治を廃止して西蔵省の設置を目指す。
中華民国の西蔵辛亥革命以降、中華民国の歴代政権は「西蔵」に対して実行支配を確立できたことはなかったが、「チベット独立」の主張にたいし、あくまでも「中国の一部を構成する西蔵地方」であると主張。また引き続き、西康省の設置を根ざす。チベットの西蔵部分を実効支配するガンデンポタンは、「チベット国の中央政府」として「全チベットの統治」を目指し、民国の地方政権と軍事衝突を含めて紛争。
中華人民共和国の西蔵:(詳細は西蔵自治区参照)1950年、カム地方東部のみで西康省蔵族自治区を発足させ、カム地方西部は西蔵に。1951年 「西蔵和平解放」。この際締結された十七ヶ条協定ではガンデンポタンを「西蔵地方政府」と規定。1955年 西康省蔵族自治区廃止。中華人民共和国によるチベットの分割と再編、省レベルではほぼ完成。1959年、チベット動乱。国務院「西康地方政府の廃止」を布告。ガンデンポタン、インドへ脱出、チベット臨時政府の発足。1966年、西蔵自治区発足。
関連項目
烏斯蔵(うしぞう)
吐蕃(とばん)
西番(せいばん)
番(ばん)
唐古特(タングート)
カテゴリ: チベットの歴史 | 中国史に現れる周辺民族 | 藩部
更新日時:2008年5月10日(土)10:33
取得日時:2008/08/18 01:13