藤原継縄
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脚注^ 尊卑分脈による。同書には「或本武良自云々」とあり、良因の名は正史に見えないが、藤原武良自または武良士・武良志は続日本紀に見える。最高位が従五位下であり、早世したか、良因の名から出家した可能性もある。高島正人「奈良時代中後期の藤原南家」『奈良時代諸氏族の研究』243頁。
^ 公卿補任・尊卑分脈によれば良因・継縄・乙縄の母はいずれも路真人虫麻呂の娘であり、縄麻呂の母を藤原房前の娘とする。ただし続日本紀では豊成の夫人は京家の祖藤原麻呂の娘百能とされており、はっきりしない。
^ 四男の縄麻呂はすでに749年(天平勝宝元年)に20歳で従五位下に叙されているが、これは上述のように縄麻呂の母の身分が高く、縄麻呂が嫡子として扱われた可能性があるのと、その後の藤原仲麻呂政権下で父と共に権力から排除されていたからであろう(高島正人前掲書250頁)。
^ 坂上康俊『律令国家の転換と「日本」』日本の歴史第05巻、講談社、2001年、32-33頁、ISBN 4062689057
カテゴリ: 藤原南家 | 奈良時代の人物 | 平安時代の公家 | 727年生 | 796年没

更新日時:2008年7月6日(日)00:00
取得日時:2008/07/23 15:34
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