※月日は旧暦。特に指示のない限り『公卿補任』の記載による。
年紀事歴
延喜15年(915年)正月21日、叙爵。9月23日、昇殿。
延喜16年(916年)3月28日、阿波権守。
延喜17年(917年)5月24日、右衛門佐。
延喜18年(918年)9月9日、次侍従<異本公卿補任>。
延喜19年(919年)正月28日、右近衛権少将。
延喜20年(920年)9月21日、備中権介。
延喜21年(921年)正月7日、従五位上。正月30日、備前介を兼任。
延喜22年(922年)正月30日、近江介を兼任。
延長4年(926年)正月7日、正五位下。2月25日、蔵人。
延長5年(927年)正月12日、紀伊権守を兼任。
延長6年(928年)正月7日、従四位下。正月29日、昇殿を許される。6月9日、右近衛権中将。
延長7年(929年)正月29日、播磨権守を兼任。
延長8年(930年)8月25日、蔵人頭(醍醐天皇近侍)<蔵人補任>。9月25日、蔵人頭(朱雀天皇近侍)。
延長9年(931年)3月13日、参議。
承平元年(931年)12月17日、讃岐権守を兼任。
承平2年(932年)11月16日、従四位上。
承平3年(933年)5月27日、検非違使別当、右衛門督兼任。
承平4年(934年)12月21日、従三位、中納言。
承平5年(935年)2月23日、左衛門督を兼任<異本公卿補任>。6月10日 初めて政を聴す<本朝世紀>。
天慶元年(938年)6月23日、右近衛大将を兼任。9月5日、右馬寮御監<本朝世紀>。12月14日、按察使兼任。
天慶2年(939年)8月27日、大納言。
天慶3年(940年)11月19日以前、大歌所別当<吏部王記>。12月7日、東大寺俗別当<東南院文書><東大寺別当次第>。
天慶4年(941年)12月27日、勘解由検校<本朝世紀>。
天慶6年(943年)正月7日、正三位。
天慶年間実頼大納言の時、一上宣旨を蒙る<台記><砂巌>。
天慶7年(944年)4月7日、右大臣。8月19日、東大寺検校<東南院文書>。
天慶8年(945年)11月25日、左近衛大将を兼任。12月16日、数所の別当に補任<小右記>。
天慶9年(946年)正月7日、従二位。5月4日、蔵人所別当。
天暦元年(947年)4月26日、左大臣。
天暦3年(949年)8月14日、氏長者<本朝世紀><二中歴>。
天暦4年(950年)7月23日、皇太子傅を兼任。
天暦8年(954年)5月15日、正二位。
天徳元年(957年)3月20日、左近衛大将辞任(病による)。
康保元年(964年)正月7日、従一位。
康保4年(967年)6月22日、関白。8月19日、内覧(冷泉天皇御悩の間)<類聚符宣抄><小右記>。12月13日、太政大臣。
安和2年(969年)8月13日、摂政。
天禄元年(970年)5月18日、薨去(71歳)。5月20日、贈正一位 尾張国に封ぜられ、清慎公の諡号を賜る。
和歌
勅撰集
後撰和歌集
山里の 物さびしさは 荻の葉の なびくごとにぞ 思ひやらるる
まだしらぬ 人もありける 東路に 我も行きてぞ すむべかりける
松もひき わかなもつます 成ぬるを いつしか桜 はやもさかなむ
鈴虫の おとらぬねこそ なかれけれ 昔の秋を 思やりつゝ
拾遺和歌集
桜花 のどけかりけり なき人を こふる涙ぞ まづはおちける
おくれゐて なくなるよりは 葦鶴の などて齢を ゆづらざりけむ
あな恋し はつかに人を みづの泡の きえかへるとも しらせてしがな
新古今和歌集
をみなへし 見るに心は なぐさまで いとど昔の 秋ぞこひしき
続古今和歌集
池水に 国さかえける まきもくの たまきの風は いまものこれり
新千載和歌集
鶯の やどの花だに 色こくは 風にしらせで しばしまたなむ
私家集
清慎公集
逢ひみても 恋にも物の かなしくは なぐさめがたく なりぬべきかな
研究文献
川上多助『平安朝史 上』(昭和5年)
竹内理三「口伝と教命」(「歴史地理」75-3・4 昭和15年)
太田静六「右大臣藤原実資の邸宅、小野宮に就いて」(「早稲田建築学報」18 昭和17年)
山口博「源高明と藤原氏-西宮左大臣集成立の一問題-」(「国語と国文学」昭和35年11月号)
山中裕「栄花物語・大鏡に現われた安和の変」(「日本歴史」168 昭和37年)
赤木志津子「摂関家と小野宮家」(『平安貴族の生活と文化』所収 昭和39年)
山本信吉「冷泉朝における小野宮家・九条家をめぐって-安和の変の周辺-」(古代学協会編『摂関時代史の研究』 昭和40年)
稲賀敬二「実頼・師輔・師氏・伊尹・道長等とその歌集」(「国文学 解釈と教材の研究」10-12 昭和40年)
山口博「安和の変補考」(「日本歴史」211 昭和40年)
赤木志津子「小野宮家と四条大納言公任」(「歴史教育」14-6 昭和41年)
村井康彦「藤原時平と忠平」(「歴史教育」14-6 昭和41年)
山口博「藤原師輔論」(『王朝歌壇の研究 村上冷泉円融朝篇』所収 昭和42年)
所功「延喜の治の再検討」(「皇学館大学紀要」6 昭和43年)
桃裕行「『北山抄』と『清慎公記』」(森克己博士古稀記念『対外関係と政治文化』所収 昭和49年)
河北騰「『九暦』から見た藤原師輔論」(「古代文化」31-7 昭和52年)
山中裕「藤原師輔論」(井上光貞博士還暦記念会編『古代史論叢』下所収 昭和53年)
朧谷寿「藤原実資論」(「古代文化」30-4・5 昭和53年)
木本好信「藤原実頼の『清慎公記』逸文」(『平安朝日記と記録と研究』所収 昭和55年)
角田文衛「師輔なる人物」(季刊「むすび」 昭和57年)
山中裕「安和の偽計-藤原実頼」(「歴史読本」昭和57年9月号)