藤原基経
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官歴

※日付=旧暦

仁寿2年(852年)1月、蔵人に補任(この頃に良房の養子になったとみられる)

仁寿4年(854年

1月、左兵衛少尉に遷任。

10月11日、従五位下に叙し、侍従に任官。(侍従は11月2日任官の説あり)


斉衡2年(855年

1月15日、左兵衛佐を兼任。

4月20日、蔵人に補任。


天安元年(857年)3月、少納言を兼任。

天安2年(858年

1月15日、左兵衛佐を兼任。・蔵人・少納言・侍従如元。

9月14日、左近衛少将に転任。少納言如元。

10月、蔵人頭に補任。

11月25日、播磨介を兼任。


貞観2年(860年)11月16日、正五位下に昇叙し、蔵人頭・左近衛少将如元。

貞観3年(861年)1月8日、従四位下に昇叙し、蔵人頭・左近衛少将如元。

貞観5年(863年)2月10日、左近衛中将に転任し、蔵人頭如元。

貞観6年(864年)1月16日、参議に補任し、左近衛中将如元。

貞観7年(865年

1月27日、阿波権守を兼任。

3月28日、伊予守を兼任し、阿波権守を辞任。


貞観8年(866年

1月7日、従四位上に昇叙し、参議・左近衛中将・伊予守如元。

3月23日、正四位下に昇叙し、参議・左近衛中将・伊予守如元。

12月8日、中納言に転任し、従三位に昇叙。


貞観9年(867年)1月14日、左近衛中将を兼任。

貞観10年(868年)5月26日、左近衛中将を去り、左近衛大将を兼任。

貞観11年(869年)1月13日、陸奥出羽按察使を兼任。

貞観12年(870年

1月13日、大納言に転任。

1月28日、左近衛大将如元。

2月、陸奥出羽按察使如元。


貞観14年(872年

8月25日、正三位に叙し、右大臣に転任。

8月29日、左近衛大将如元。

11月29日、摂政宣下。右大臣・左近衛大将如元。


貞観15年(873年)1月7日、従二位に昇叙し、摂政・右大臣・左近衛大将如元。

貞観19年(877年)2月、左近衛大将を辞任。

元慶4年(880年

11月8日、関白に補任。右大臣如元。

12月4日、太政大臣宣下。関白如元。


元慶5年(881年)1月15日、従一位に昇叙し、関白・太政大臣如元。

仁和3年(887年

11月21日、関白宣下(正式な詔が降る)。

11月26日、関白辞すも、阿衡に補任の旨。


仁和4年(888年)6月2日、阿衡を止め、関白に復す。

寛平2年(890年

2月19日、准三宮宣下。

12月14日、関白を辞す。


寛平3年(891年)1月13日、薨去。享年56。贈正一位。謚号:昭宣公。越前国に封ず。


後世

基経を中祖とする藤原北家および藤原北家と近しい関係にある村上源氏が朝廷の主流を占めつづけたこともあり、近代以前には暴君・陽成天皇を廃した「功臣」として前漢霍光に擬える説が儒学者を中心に唱えられた。北畠親房(村上源氏)は神皇正統記において廃位を称賛し、その「積善の余慶」によって基経の子孫が摂政関白を独占したと記述している。


脚注^ 北山茂夫『日本の歴史4 平安京』、中公文庫、1973年、242頁
^ 佐々木宗雄『平安時代国制史の研究』、校倉書房、2001年18-26頁
^ 北山茂夫『日本の歴史4 平安京』、中公文庫、1973年、262-263頁


関連項目

応天門の変

阿衡事件

先代:
藤原良房藤原氏長者
 - 次代:
藤原時平
カテゴリ: 藤原北家 | 摂関 | 平安時代の公家 | 836年生 | 891年没

更新日時:2008年8月16日(土)16:45
取得日時:2008/08/19 00:31


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