福井県
おろしそば(福井県)
辛味大根と醤油を合わせてつけ汁にする蕎麦[18]。
詳細は越前そばを参照
今庄そば(南越前町)
大野そば(大野市)
美山そば(美山町)
詳細は凍り蕎麦を参照
行者そば(長野市戸隠)
奈良時代初期に役小角が木曽駒ヶ岳で修行中、幾つかある登山道の途中にある集落「内の萱」の里人に篤い持て成しを受け、そのお礼に役小角が里人に渡したソバの種が発祥とされ、焼き味噌を溶き入れたつゆ(辛つゆ)に薬味として辛子大根おろしとネギを入れて食べる[67][68]。
富倉そば(北信地方)
詳細は富倉そばを参照
開田そば(木曽町開田高原)
冷涼で朝霧や夕霧が発生する気候によりソバ生育に適していた事から古くからのソバ産地で、その地産そば粉にて作った蕎麦である[69]。具材にすんき(カブ菜の漬け物)と鰹節を用いた「すんきそば」は冬季に作られる[18]。
霧下そば(北信地方)
「霧下そば」について、狭義では戸隠そばの中でも昼夜の気温差が激しく霧の発生する場所で獲れたソバやそば粉やそれで作った蕎麦だけを指し、広義では戸隠産の良質なソバやそば粉やそれで作った戸隠そばを指す[70][71][71][72]。また、同様の条件を満たした「開田そば」を指すこともある[18]。
善光寺そば(長野市)
主に善光寺表参道周辺で営業している蕎麦屋やそこが出す蕎麦を指し、商品に「善光寺そば」を使用する場合は善光寺事務局の許可(公許)をもらい、「善光寺ブランド」使用ロイヤルティーを支払う必要性が生じる[73]。
高遠そば(長野県伊那市)
会津松平家の初代藩主保科正之は大変なそば好きだったと伝えられており、また二十数年信濃国高遠藩との密接な関わりがあり、この地域ではみそ味(みそ+大根おろし+ネギ)のそばつゆ「からつゆ」にて蕎麦が食されていた[18][74][75][76]。その後、保科正之が陸奥国会津藩23万石と大身の大名に引き立てられたことがきっかけで、この「からつゆ」蕎麦の食べ方も会津地方に伝わり、発祥地の名を取って「高遠そば」と呼ばれるようになったが、その名が逆に会津から高遠地区に伝わって「からつゆ」蕎麦を「高遠そば」とも呼ぶようになった[18][74][75][76]。それに対して出汁の効いた醤油味のつゆは「あまつゆ」とも呼ぶ[74]。
本山そば(塩尻市)
本山宿は「そば切り発祥の地」といわれ[77]、その所以は宝永3年(1706年)に出版された「本朝文選(風俗文選)」に『蕎麦切りといっぱ(いうのは)、もと信濃の国本山宿より出て、あまねく国々にもてはやされける』と書かれたことによる[78][79][80]。また、本山宿本陣では寛文10年(1670年)6月4日の大名宿泊時に蕎麦切り献上の記録も残っている[78]。この地域では家庭毎に蕎麦打ちの技術が伝えられていたこともあって長らく蕎麦屋が無かったが、本山手打そば振興会の手によって蕎麦屋が開店した[78]。
とうじそば(松本市奈川地区)
信州野麦峠周辺の旧奈川村に伝わるそば。まるでしゃぶしゃぶのようなそば。ラーメンのつけめんのようにそばと汁が別で、そばを汁に入れて(投じて)暖めて味をつけてから食する。汁は火にかかったなべに入って(いることが多く)常時暖かくなっており、これにそばを専用のカゴに入れて浸してから食べる。そばを投じるためとうじそばという。なお投汁そばが語源の説もあるがこれは登録商標になっている。わんこそばのように、家主が次々とそばをカゴに入れて暖めて客人におなか一杯食べてもらうことが目的に発祥したとの説もある。