民進党政権は、台湾正名運動の一環として、台湾各地に残る蒋介石色の排除を進めている。しかし、民進党政権主導による脱蒋介石化には、最大野党中国国民党とこれの分派である親民等、新党など泛藍連盟の支持者からは批判的である。
最近では、これに基づいて行政院が2007年に蒋介石を記念する中正紀念堂を台湾民主紀念館と改名したが、立法院が改名に関する法律である台湾民主紀念館組織規程を否決したため、1ヶ月あまりで中正紀念堂に戻されることとなった。しかし、以後も館内の蒋介石像は228と書かれた横断幕や多数の凧によって覆い隠され、館内館外看板も民主紀念館のままであり、それまで行われていた中華民国軍の儀杖兵の配備も廃止されたままである。
また、高雄の文化中心(文化センター)の?介石像も撤去された。
日本における、(少なくとも)中国近代の歴史の記述では、中国人の名前の呼び方は、通常、「姓+字」ではなく、「姓+名」を用いる。例えば、袁世凱、毛沢東、周恩来、張作霖、孫文、黄興、宋教仁、段祺瑞などである。汪兆銘(「姓+名」に加えて、「姓+号」である「汪精衛」がしばしば用いられる)という例外があるが、日本との深い関係がその理由だとも推測される。これらと対比して、蒋介石の場合、「姓+字」が一般的に用いられているということのみならず、「姓+名」である「蒋中正」という呼び名が、専門家や一部の中国近代史に詳しい者以外には、日本においてはほとんど知られていない、かつ、使われていないという、奇妙な状態になっている。この理由は、(蒋介石による)自己使用説、日本マスコミ説(日本の新聞説)、日本政府公式文書説、歴史家説などがありうるが、現在までのところ不明である。なお、英語でも「Chiang Kai-shek」で、「蒋介石」を訳した呼び方となっている。
戦後、日本の歴代政権は台湾を反共陣営の一員として、また国連常任理事国として修好につとめていたが、日中国交回復の機運が高まると中国国民党の宣伝機関は危機感を強め、日本の保守メディアに急接近し様々な宣伝活動を行うようになった。代表例としてサンケイ新聞による蒋介石秘録の連載、國民新聞 (1972年-)による反中国共産党パンフレットの発行、マスコミ総合研究所の雑誌アジア・レポートの発行。そのような中で「以徳報怨」は多くの自民党政治家、保守言論人や右翼団体がこの言葉を引用し蒋介石礼賛を行った。
しかし90年代半ば、台湾の民主化が進み、台湾独立派の政党が誕生すると、蒋介石の後継である「ひとつの中国」を標榜する国民党は、むしろ親中共派的な位置に立つ事となった。日本国内において活動する台湾独立運動家たちが、敵の敵は見方、反中国の観点から日本の保守派に接近した。金美齢がコーディネートしたとされる小林よしのりの「台湾論」が成功を収め、日本の若者に対しても蒋介石=悪玉論が広まった。
日中戦争を肯定する立場の言論人も、中国側に非がある理由として、蒋介石の「侮日政策」をあげつらうようになった。蒋介石を高く評価する理由のひとつである「以徳報怨」も、日本軍に対抗出来ない状況による窮余の策である事が指摘されるようになった。それに引き摺られる形でかつて蒋介石を礼賛していた産経新聞や保守言論人も蒋介石に否定的な意見を述べるようになっている。
このような現況に対し、平沼赳夫は2008年1月28日にマスコミ総合研究所の会合で、蒋介石が日本の天皇制を守ってくれたと擁護し、日本の保守系政治家が台湾を訪れた時は蒋介石の墓に参るのが礼儀であったが近年は行われなくなったとの批判を行った。 また、小林よしのりの著作にも、蒋介石を単純な悪玉としてあげつらうことには否定的と見られる記述がある。
参考文献
?介石秘録取材班 『?介石秘録』全十五巻(産経新聞社)1975?77年
?介石秘録取材班 『?介石秘録?日中関係八十年の証言?』上下(産経新聞社)1985年
保坂正康 『?介石』(文春新書)1999年
池口恵観 『蒋介石:その偉大なる生涯』(論稿社)1976年
黄文雄 『蒋介石神話の嘘ー中国と台湾を支配した独裁者の虚像と実像』(明成社)2008年
注釈^ 第二次世界大戦の時代、他に大元帥と呼ばれていたのは昭和天皇とヨシフ・スターリンである。
関連事項
孫文
宋美齢
蒋経国(長男)
蒋緯国(次男)
蒋友柏(曾孫)
中国国民党
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張学良
毛沢東
日中戦争
中国共産党
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⇒慈湖紀念雕塑公園(蒋介石銅像公園)
⇒中正国際空港
先代:
譚延?中華民国国民政府主席
1928年 - 1931年次代:
林森
先代:
譚延?(代理:宋子文)行政院長
1930年 - 1931年次代:
(代理:陳銘枢)孫科
先代:
汪兆銘(代理:孔祥熙)行政院長
1935年 - 1938年次代:
(代理:王寵恵)孔祥熙