かつて日本全国に多くの花街(花柳界)があり、芸妓も多数いた。第二次世界大戦以後は、児童福祉法の制定によって子どもの頃から仕込むことが困難になり、娯楽と接客の多様化により花柳界も衰退し、芸妓の数は減り続けた。後継者不足のため、花街側は頭を抱えている状況だが、山形や秋田では会社制度に転換したりして後継者を育成し続けている。 旦那制度はほぼ無しに近い状態で、芸妓一人一人自前で着物などを用意する。
新潟市には古町芸妓が存在する。最盛期には400人いた芸妓も今は20数名程。実働は10数名となる。後継者がいないため年々人数が減少し、現在でも衰退の一途をたどっている。それにより、1987年(昭和62年)、芸妓出入りの料理屋や財界人の出資により「柳都振興株式会社」が設立された。古町芸妓は大きく2種類に分かれており、50?60歳代の昔ながらの置屋所属の、正統派のベテラン芸妓でいわゆる「姐さん」と、この柳都振興株式会社の社員、通称「柳都さん」に分かれ、まったく別である。この会社はあくまでも若手のみ(18歳?40歳代)で、現在の在籍人数は8人。会社組織であるため、所属する芸妓も一般の会社員同様に固定給であり、歩合制もない。
先にも述べた通り現在置屋に所属する若手はいない。がしかし、この会社自体に芸妓の育成や養成能力はほとんどなく運営や管理であり、実際の稽古や育成は姐さん方や地元流派の家元が行っている。別個体の会社組織だが組合に入っているため、新潟の花柳界で活動し料理屋等にも通用でき、座敷への呼び方や花代は姐さんたちと同様である。
残念ながら、上記の通り古町芸妓の衰退の勢いは止まっていない。その原因として姐さん方の弟子取り(跡継ぎ)を全面的に中止していること(今の代で廃業)や会社員制になったことによる士気の低下、さらには若手のプロ意識の低下、いわゆる「旦那様」の激減などがあげられ、この旦那様の皆無状態により若手芸妓の跡継ぎを姐さん方が断念している。
もうひとつの原因として会社組織になったことと、伝統文化や厳しい世界と「いまどきの若い子」の感覚による温度差もある。これは京都の舞妓の項にも記述がある通りに単なる憧れや一職業としてホステスやコンパニオン感覚で入門した場合にその世界の厳しさや労働と賃金との対価が納得できずに辞めてしまう者も事実、多数存在する。特にこの柳都の若手は上記の通り労働と賃金の格差が激しく月にどれだけ出ようが出まいが賃金は一律である。
京都の舞妓のようにプライベートまでしっかりとしたきめごとはなく、仕事後は鬘(かつら)をとり茶髪の今風の姿になり服装や行動も自由なため礼儀作法の徹底不足や意識の低さは会社組織の短所といえる。舞妓のようにジーンズの着用禁止や髪結いの徹底、出入り店舗(コンビニやバーなど若者が好みそうな店への出入り禁止)の制限などを設け若手の伝統や礼儀に対する意識改革をすべきと各方面から声が上がっている。
さらには時代の流れで娯楽の多様化、各種接待の激減(料亭の項参照)による利用客の需要の少なさなど、料理屋や新潟の花柳界自体の衰退があげられる。なおかつ、地元新潟市民の知名度の低さもあり、いまだにその存在や活動を知らない者や縁遠い物として関心がない場合が圧倒的多数を占めている。新潟市では芸妓と料理がセットになったプランを提供する料理屋もあるが、これもマンネリ化により定員数の集客が出来なかったり、料理屋側が花代を一部負担するなどという事態にまで発展している。これらの現状により、料理屋と芸妓と双方に次なる根本的な改革を迫られている。
松山市には松山検番が存在する。大正?昭和初期の全盛期には、県内で検番が約40軒、置屋が439軒、芸妓が1350人いたが、現在は愛媛県で松山検番1軒のみとなっている。在籍人数は12人。
日本最古である有馬温泉には古くから芸達者な芸妓が現在も若い芸妓に伝承されている。有馬検番があり、現在置屋が4軒、梓席・田中席 ⇒[1]・わかまつ席・初音席。常に白塗りで鬘(かつら)、着物で座敷にあがる(有馬温泉観光協会 ⇒[2]参照)。
温泉街だが関西の奥座敷と呼ばれ格式が高く、遊郭のような店もなく、またその様な人(ピンクコンパニオンなど)が旅館やホテルに出入りするのも禁じられている。
関連項目
花街
舞妓
幇間
水揚げ
遊女
売春
中村喜春
料亭
待合茶屋
萬龍
モルガンお雪
川上貞奴
文献
相原恭子『京都発 極上作法で魅せる舞妓さんマナー集』山海堂、2007年3月、ISBN 4381022351
相原恭子『京都花街もてなしの技術』小学館、2005年5月、ISBN 4093875537
相原恭子『京都舞妓と芸妓の奥座敷』(文春新書)、文藝春秋、2001年10月、ISBN 4166602055
相原恭子『舞妓さんのお道具帖 おしゃれのアイデアと、すぐに使える小物がいっぱい』山海堂、2007年11月、ISBN 9784381023315
相原恭子『未知の京都 舞妓と芸妓』弘文堂、2007年7月、ISBN 9784335551130
青山益朗『ぎをん桔梗家ものがたり』コエランス、2004年11月、ISBN 490773106X
浅野喜市『祇園 昭和13年?35年 浅野喜市写真集』京都書院、1990年6月、ISBN 476363142X
浅原須美『お座敷遊び 浅草花街芸者の粋をどう愉しむか』(光文社新書)、光文社、2003年4月、ISBN 4334031935
浅原須美『東京六花街 芸者さんに教わる和のこころ 新橋・赤坂・芳町・神楽坂・浅草・向島+八王子』(地球の歩き方BOOKS 地球の歩き方 GEM STONE 013)、ダイヤモンド・ビッグ社、2007年7月、ISBN 4478077894
浅原須美(文)、中川カンゴロー(写真)『夫婦で行く花街花柳界入門』小学館、1998年3月、ISBN 4093431345
井沢寿治『ぼんぼんの原風景』かもがわ出版、2000年6月、ISBN 4876995206
石井美代(高良留美子、岩見照代・共編)『芸者と待合』ゆまに書房、2004年6月、ISBN 4843312185
石田民三『京洛風流抄』「京洛風流抄」刊行会、1973年、 ⇒[3]
石原哲男『日本髪の世界 舞妓の髪型編』自費出版、2004年4月、 ⇒[4]
石原哲男『舞妓の髪型 京・先斗町』同朋舎出版、1993年5月、ISBN 4810412946
板倉有士郎『祇をん 舞妓の四季 板倉有士郎写真集』サンライズ印刷株式会社、1989年3月
井上精三『博多風俗史 遊里編』積文館書店、1968年12月、 ⇒[5]