その他公営施設
日本赤十字社献血ルームフェイス - 本町1-3-1フェイス7階
農業
近郊農業。谷津田が少なく、平地は商業地や宅地化が進み、丘陵地での畑作中心となる。農産物産出額のうち、野菜・梨の産出額がほとんどを占める[3]。稲作については、東京近郊なこともあり、農家の高齢化と共に稲作の重労働、米価の下落により減反でなく休耕田化されるケースが増えている。
漁業
東京に「江戸前」の魚介類を供給する。海苔の養殖などが盛んで、近年、三番瀬でのりの養殖が再び始まり、「三番瀬のり」というブランド名で売り出されている。
第二次産業
食料品工業が中心で、大型食品コンビナートが形成されている。内陸部には市が造成する「船橋ハイテクパーク(豊富町?鈴身町)」がある。重化学工業は千葉港から広がる京葉工業地域の埋立地を中心に発達している。
市内に本社のある主要企業
AGCテクノグラス(ガラス製品等製造・旭硝子関連会社)
あらた(卸売)
石井食品(レトルト食品製造)
日本建鐵(電機製品等製造・三菱電機株式会社完全子会社)
フジフーズ(コンビニエンスストア向け食料品製造)
ユアサ・フナショク(食品卸・ホテル経営・パン製造)パン製造は2005年12月をもって工場閉鎖、及び撤退。
アイ・エス・ガステム(LPガス及び関連事業、住宅リフォーム事業)
市内に工場のある主要企業
キーコーヒー
クボタ
サッポロビール
ドトールコーヒー
ニチレイフーズ
日東ベスト
日本軽金属
ユーハイム
東洋電業株式会社
「県都」千葉に対し「商都」船橋との形容もあり、商業は盛んである。船橋市の産業の特徴のひとつは、時代ごとに食糧物資を主とする物資の集積地・流通地として重要な役割を果たしてきた点である。古代から中世には、戦略的な交通の要所だったことから、兵站物資の集積地・流通地として栄えた。戦国時代には、近藤万栄なる人物が船橋を拠点に活躍したことが文献に記されており、勢力争いの中で、重要な役割をになっていたことがわかる。また、大神宮に残されている文書からもそのことをうかがうことが出来る。近世には、成田参詣の宿場・江戸を支える重要な魚農産物の集積地・供給地として栄えた。
近代に入ると宿場町は衰退し、軍都を支える経済都市として発展。第二次世界大戦中は空襲の被害が軽微であったので、戦後の食糧不足の際には、豊かな海・農産物が集積する闇市の一大拠点として栄えた。日本の上海と呼ばれ、敗戦に消沈した空気を戦後復興に向ける役割を果たした。
高度成長期の際には、首都圏の発展のために必要な大量の働き手を収容するため、農地の多くが大規模な団地などへ転用され、食糧供給地としての影響力は低下したが、物資の集積地・流通地としての役割は強化された。船橋ヘルスセンター(1977年閉業)や中山競馬場などの娯楽施設、江戸時代以来の遊郭などの花町も発展した[4]。
高度成長期以前は、旧宿場町の本町通りと船橋駅から南に延びる駅前通りが中心であったが、1967年に国鉄船橋駅南口に西武百貨店、1977年北口に東武百貨店が進出。ほぼ同じ頃津田沼駅周辺に相次いで大型店が進出した事から両駅周辺が中心となった。1981年には船橋ヘルスセンター跡にららぽーとがオープンし船橋商業地の第三の核となった。
ポストバブル期以降は、宅地開発に伴う郊外型店進出や工場跡地などの再開発事業によりそれら以外の比重も高まっているおり、市内のみならず東京都心や周辺地域との競争激化で旧商業地の地盤沈下が著しく、対応が求められている。
市内の主な大型店・ショッピンクセンター
西武百貨店船橋店 船橋市内では最古参の百貨店。
東武百貨店船橋店
イトーヨーカ堂船橋店
津田沼パルコ 津田沼駅周辺の大型店では唯一船橋市にある(他は習志野市)