細川護熙内閣の退陣に際して、後継総理として野党・自民党の渡辺美智雄を擁立しようという動きに伴い、渡辺の側近であった柿沢弘治、太田誠一、新井将敬、佐藤静雄、山本拓、米田建三の6人が先行して自民党を離党、無所属ながら総理大臣指名選挙で自民党総裁の河野洋平を支持した(後の山本の妻)高市早苗を加えた7人の代議士で結成した政党。党首は柿沢、代表幹事が太田。最終的に渡辺は離党を断念したが、羽田孜内閣で柿沢は外務大臣に就任した。同年7月海部俊樹を代表とする自由改革連合結成に参加し同年12月、新進党結党により解散した。しかしその後、上記7人全員が自民党に復帰した。この自由党は党首の名前から「柿沢自由党」として区別されることもある。
日本の政党
自由党
Lebral Party(LP)
成立年月日1998年1月6日
解散年月日2003年9月26日
解散理由民主党への合流
後継政党民主党
所在地〒107-0052
東京都港区赤坂2丁目2番地12号
国際興業赤坂ビル
政治的思想・立場新自由主義、保守主義
機関紙自由党
国際組織自由主義インターナショナル※
※オブザーバー資格による加盟。
表・話・編・歴
1998年 - 前年の新進党分党に伴い小沢一郎を中心とした議員が結成。スローガンは「日本一新」。
2003年 - 民主党への合流に伴い解散。
政策的には、小沢の著書「日本改造計画」、新進党の政策「日本再構築宣言」を基に、小さな政府・規制緩和・市場主義といった経済的新自由主義と、教育基本法見直しなどの政治的保守主義をとり、自由民主党政治に対抗する改革を呼びかけた。
国際的には、自由主義インターナショナルにオブザーバー参加した。
当初は民主党と共闘していたが1999年1月から自由民主党の小渕恵三内閣に連立参加して与党となり、副大臣制度の導入や、衆議院議員定数削減などを実現した。しかし、公明党が連立に参加すると(自自公連立)次第に自由党の主張が取り入れられなくなったとして小沢は連立離脱を決断するが、党内の連立残留派が2000年4月に保守党(後の保守新党)を結成し分裂したため、党勢が後退した。
国政選挙では小沢のキャラクターを前面に出し毎回現有勢力に上積みしたが、自民党に対抗する勢力を結集するため、2003年に民主党と合併して解散した。民主党ではベテラン議員を中心に旧民社党系の民社協会(川端達夫グループ)、若手議員は一新会(小沢グループ)に所属している。
党史
1997年
12月31日 - 新進党分党。
1998年
1月6日 - 自由党結成。
7月12日 - 第18回参議院議員通常選挙で6議席を獲得。
1999年
1月15日 - 小渕恵三内閣に参画。閣僚1名を輩出。
2000年
4月1日 - 連立政権から離脱。野田毅らが離党し、保守党を結成。
6月2日 - 第42回衆議院議員総選挙で22議席を獲得。
2001年
1月 - 小沢一郎政治塾設立。
7月29日 - 第19回参議院議員通常選挙で6議席を獲得。
2003年
9月26日 - 自由党解散、民主党に合流。
党首幹事長政策調査会長国会対策委員長参議院議員会長最高顧問
小沢一郎野田毅井上喜一二階俊博平井卓志
〃 〃 〃 〃扇千景
〃 〃藤井裕久中西啓介 〃海部俊樹
〃藤井裕久 〃藤井裕久田村秀昭