自らの体にガソリンや灯油などの燃料をかけ、それに火をつけて行う自殺である。かつては油のしみこんだ蓑に火をつけて殺すなどの拷問的な火刑の一つに採用された方法ですらある。燃えるのは主に気化した燃料である。燃料は体温で気化し、引火後は燃焼で気化し燃焼を続け体を焼く。液体の燃料を体にかけると、厳冬期でも体の体温で気化し引火性のガスが被覆の間に充満し、僅かな火気や静電気に対しても非常に危険な状態になる。灯油などの着火点の低い燃料も体温による気化ガスが発生するので床に流れた灯油とは比較にならない引火性をもつ。ここで点火もしくは引火し着火すれば、一瞬で全身が火だるまになる。燃料がごく少量でも化繊の被覆ならばとけて燃え燃料とともに体を損傷する。肌を濡らすほどの燃料に引火すると、仮に消火に成功しても大きな障害がのこる。燃焼中も自らの皮膚が白く変色し硬化し激痛を感じる。広範囲な熱傷、気道熱傷を伴い死にいたることも多いが、即死に至る場合は少なく、死に至るまでの期間も比較的長いことが多く、呼吸不全、全身の火傷による激痛により苦痛は長く激しい。また、救命される例も多いが、急性期には集中治療を要し、その後も何度にもわたる激痛を伴う植皮手術を行う必要があり、その治療には長期を要する。回復後も四肢機能の低下や美容的問題などの後遺症を残すことが多い。
焼身自殺は、死そのものよりも見る者へ与えるインパクトの強さを狙った、過激な宣伝・抗議手段の1つとして行われる場合もある。例えば、韓国の反日デモにおいて焼身自殺を図った男性や[18]、ベトナム戦争当時の南ベトナム政権による仏教徒弾圧に対する抗議のためにビデオカメラの前で焼身自殺したティック・クアン・ドック(釋廣コ)師などが知られている。左翼思想を持つロックバンド、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの初アルバムには炎に包まれるティック・クアン・ドックの写真が載せられている。[19]
日本では銃は銃刀法によって厳しく取り締まりが行われているため、銃による自殺は極めて少なく、拳銃自殺にいたってはほとんどが警察官である。それに対して銃の所持に寛容な国では銃による自殺も多い[20]。中でもアメリカは自殺手段の半分以上を銃が占める[21]。銃自体も100ドル程度から手に入り、弾丸も1 発20セントから買える[22]。また、自衛の意識が強く、狩りが盛んなため、多くの家庭に銃があり、スーパー等で手軽に弾薬も購入できる。アメリカ以外では、カナダ[23]、イタリア[要出典]、オーストラリア[24]などの国々も、銃による自殺が多い。
銃で頭を撃ちぬいても脳幹の機能を破壊できないと死亡に至らない。映画等でよく描写される拳銃自殺にこめかみに銃口を当てて引き金を引くという方法があるが、発射の反動や引き金の固さ(大型リボルバー等はげき鉄をあげても引き金はかたく、射撃も両手で行う)によって銃口が動き弾道が逸れ失明しても生存する場合がある[25]。そこで、より確実な方法として脳幹を狙える口に銃口をくわえて発射する方法を取る方法を選ぶ場合が古くからある。1993年に、クリントンアメリカ大統領次席法律顧問のヴィンセント・フォスターや、1945年8月15日古賀秀正近衛第一師団参謀が割腹した時、とどめに口中を撃っている。2007年6月に島根県出雲市の出雲署内で、25歳の女性巡査長が拳銃で口から頭を撃つ等多数例がある。
アメリカの病理学者、ジャック・ケヴォーキアンが製作した自殺装置によって自殺した人もいる。この自殺装置は3本のボトルとそれぞれの流れを調整するタイマーからできており、ボトルにはそれぞれ生理食塩水、麻酔薬(ペントソール)、塩化カリウム水溶液が入っている。まず点滴のように静脈に針を刺し、食塩水を流す。次に自殺志願者がボタンを押すと、食塩水が麻酔薬に変わり、志願者は眠りに入る。さらに数十秒後、麻酔薬から塩化カリウム水溶液に変わり、死亡するというものである。ただし、これは不治の病気などに悩む人がなるべく苦しまずに死ねるようにと作られた尊厳死のための装置として作られた。尊厳死を認めるか否かは別として、使う本人を死に至らしめると言う点から単純に「自殺装置」と呼ばれるが、上記の目的から考えるとこの呼び名には語弊がある。
自分の身体を感電させることによって自殺する方法。完全自殺マニュアルによれば1995年の日本の統計では感電自殺者の95%が男性という極端に性差の激しい手段として紹介されている。
直接の自殺ではないが自ら死を招く行動を取る事詳しくは拡大自殺を参照。
いわゆる殉教。一部の宗教である種の死によって魂が救われると説くため発生する。自爆テロや即身仏、生贄など。
自殺希望者が取れうる選択肢は、どれも痛みや苦痛を伴うものばかりで躊躇し苦しみ続けている現状がある。麻酔などを利用し安らかに死ねる環境の提供が求められている。
自殺は自らの意思で自らを殺そうとすることとされるが、外面上自殺に見える場合であっても必ずしも自殺と判断できない事もある。この問題が持ち上がるのは、自殺があくまで「自分の意思の結果」であるという前提があり、手法による判別ではないからである。すなわち、自身が行うことのできる行為は、他者が行いうるとも言い換えることができるわけで、死因鑑定や法医学的鑑定上、自他殺を判定する場合においては、実際の自殺死であっても、必ず「自殺で起こり得る」という範囲での判定であり、はっきり自殺と断定しているとはわけではない点が、極めて注意すべき重要な点である。
警察の捜査で自殺と断定された事件が事故または殺人事件ではないかと疑われる例は以前から存在しており、徳島自衛官変死事件のように遺族とのトラブルや訴訟となった例もある。また逆に、自殺であるにもかかわらず、警察や遺族によって事故とされている場合も存在するのではないかと言われる。突発的な自殺願望によって、遺書も書かずに電車や車に飛び込み自殺したと疑われる場合である。
なお、日本国内の自殺を取り扱った統計である「自殺の概要」(警察庁)では、解剖による鑑定後、自殺と判定された案件において、実際に遺書が残されている件は、半数以下である。