1996年、BMGに移籍した聖飢魔IIは地球デビュー前の曲「野獣」に続き大教典『メフィストフェレスの肖像』を発布した。このアルバムでは離れていった信者を呼び戻すべく、旧構成員ダミアン殿下とジェイル代官の楽曲を収録している。「GREAT DEVOTION」や「HOLY BLOOD ?闘いの血統?」といった、解散時や再集結時にも演奏された曲も収録されている。それまでを考えれば非常に低予算での制作で、仮録音のはずのテイクが多数本番に使用される、ジャケットも音楽もシンプルなスタイルとなった。
1997年、『NEWS』をリリース。悪魔云々というスタイルから脱却し、プログレッシブ・ロックにも通じる前衛性な手法も取り入れていた。なお、今作のブックレットと『PONK!!』のCDレーベル面には同じ人物の写真が使われているが、この人物については1999年12月31日のミサ中に明かされた。同年には所属事務所を吉本興業に移籍し、『THE BRAND NEW BLACKMASS TOUR』というライブハウスでのツアーを行い、周囲を驚かせた。1998年、解散を翌年に控えた聖飢魔IIはジョー・リノイエをプロデューサーに迎え『MOVE』をリリース。一般に聖飢魔IIというとイメージするようなヘヴィメタルの曲を一切含まない、ハードポップ的な教典である。また、この時期デーモン閣下は金色の長髪を逆立てず、オレンジ色の比較的短めのおかっぱ頭をしていた。また、この髪をオールバックにすることもあった。『ふるさと総世紀末計画』と題した全47都道府県に於けるツアー、および地方CM制作においての選曲は、この『MOVE』に収録されている曲が大半を占めた。 1999年4月、地球デビュー当時からの予定通りに解散することを改めて発表した[注釈 19]。4月にリメイク曲「蝋人形の館 '99」、5月に新録・新曲を含む本家極悪集大成盤『1999 BLACK LIST』、7月に新録を含む元祖極悪集大成盤『1999 BLOOD LIST』、11月にソロ活動のベスト盤『聖飢魔II 個悪魔活動大選抜』といったコンピレーション作品を多くリリースした。10月には最終大教典『LIVING LEGEND』をリリースし、最後のツアー「THE FINAL BLACKMASS TOUR LIVING LEGEND」を行った。また、最初で最後のディナーショー、『ONE NIGHT SPECIALバラードナイト地獄の晩餐』も行なった。 1999年12月29日から31日の3日間、東京ベイNKホール(千葉県 浦安市)にてラストライブである究極の黒ミサ『THE ULTIMATE BLACK MASS』が開かれた。3日間メニューが異なり、全部で68曲が演奏された(ちなみにダブリ曲は2曲である)。初日は演出に趣向を凝らし聖飢魔IIの歴史をシアトリカルに物語られる「THEATRICAL DAY」として日本舞踊家花柳鳴介 2005年に、地球デビュー20周年を記念して年内限定で再集結した。ちなみに、再集結の話は結成20周年となる2002年にもあったが流れ、2005年の再集結の発表は6月6日の悪魔の日に行われる予定だったが、スポーツ新聞のスクープにより6月2日になった。永続的な活動をするための「再結成」ではなく、あくまでも期間限定の「再集結」である。 10月に着うたフルにて元メンバー6名が1曲ずつ持ちより配信小教典として新曲5曲を発表。これは2005年6月はじめの限定再集結発表の際には既にレコーディングされていたものである。デーモン閣下が同年3月から9月まで、全国放送ネットで『デーモン小暮 ニッポン全国 ラジベガス』という月-金曜日22時から24時まで放送の番組予定が入っており、咽の調子のために早めに録音されたからである。11月にNHK『ポップジャム』への出演(オンエアは12月2日、演奏曲は「創世紀」と「SAVE YOUR SOUL ?美しきクリシェに背をむけて?」)をした後、『聖飢魔II 地球デビュー20周年記念 THE LIMITED BLACK MASS TOUR D.C.7 恐怖の復活祭』(11月17日から12月26日までの11公演)と『聖飢魔II 地球デビュー20周年記念 THE SPECIAL BLACK MASS オールスタンディング処刑(一部を除く)』(12月10日から17日までの4公演)の2つのツアーを行った(一部を除くとなっている理由は、ライブハウス会場によっては二階などに座席があるためである)。 ミサ会場の規模は、解散後の各々の構成員のソロ活動においての動員人数を合計するなどして決められたが、いざ発売日となると予想を遥かに凌ぐ売れ行きになり、結局は全会場即日ソールド・アウトとなった。急遽アリーナ規模での大幅な追加公演が予定されたが、日程が差し迫っていたこともあり、ほとんどの会場は空きが無いという状態であり、やむなく追加公演は12月26日東京国際フォーラム ホールAのみとなった。案の定5,012枚のチケットは瞬く間に売り切れ、前列の方の席はネットオークションで28万円まで釣り上がった。 復活祭の全日程には最終構成員および怪人マツザキ様に加え、ホール会場限定ではあるがジェイル代官も参加した。12月26日の追加公演にはゾッド親分も参加し、長年ミサで楽曲の一部が使用された縁で水前寺清子が迎えられた。また、デーモン閣下の目元が解散後の赤ではなく青に戻っていたことが信者を大いに喜ばせた。 翌2006年4月29日25:20-26:00、『再集結聖飢魔II最後のミサ』がNHK総合テレビジョンにて放送された後、既に発売されていたDVD『オールスタンディング処刑 THE LIVE BLACK MASS D.C.7』が、各レコード店において売上ランキングの上位を記録。新たな信者を獲得した。 再集結終了後は再び個々の活動に戻っていたが、地球征服10周年にあたる、2009年7月17日、聖飢魔II公式ウェブサイトにて、英語でのセルフカバーアルバム『AKUMA NATIVITY "SONGS OF THE SWORD"』が世界21カ国のiTunes Storeで7月15日より配信発布されることと、日本では9月16日にCDで発布されることが発表された。これは、世界的に活躍する静野孔文監督から欧米での発表を前提とするアニメーションでのコラボレーションの誘いを受けたのを機に制作されたもので、初回版にはその映像、通常版には新曲が収録されている。なお、エース清水(ACE)はface to aceの活動に集中するために聖飢魔IIの活動には参加しないことを自身のブログにて発表し、それ以降の期間限定再集結には一切参加していなかったが、期間延長された35周年再集結黒ミサツアーのヴィデオミサに16年ぶりに参加することが発表された[20][注釈 20]。 2010年3月15日、地球デビュー25周年を記念して年内限定の再集結と、9月から11月にかけての日本国内黒ミサツアー日程が発表された。まずA-Kon 21!(現地時間6月4日、アメリカ合衆国テキサス州ダラス)、JAPAN EXPO(7月4日、フランス・パリ)、『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2010 in EZO』(8月13日、日本・石狩)、『VIVA!Korea Rock Festival』(9月3日、韓国・大明)と国内外のフェスに参加した。 その後、『?地球デビュー25周年記念・期間限定再集結? 聖飢魔II ICBM (Inter Continental Black Mass) TOUR』をスタートさせた。なお、当初発表されたのは9月18日の川口リリアホール
解散
期間限定再集結(2005年)
セルフカバーアルバムの配信発布
期間限定再集結(2010年)
期間限定再集結(2011年)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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