内閣制度創設期から旧官邸が完成した1929年まで使用された。西洋風の木造2階建てで、旧太政大臣官舎を転用したものであった。 この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
大正末期から昭和初期にかけて流行したアールデコ、表現主義などの建築様式を取り入れた文化的にも価値があるといわれる建築。旧帝国ホテル本館などの設計で知られるフランク・ロイド・ライトのデザインに似ていたため、ライト風とも呼ばれたが、実際に設計したのは、当時大蔵省営繕管財局工務部工務課第二製図係長だった下元連である。
旧官邸の概略
1929年(昭和4年)3月18日竣工
鉄筋コンクリート4階建(地上3階・地下1階)
延床面積:7000平方メートル
設計:大蔵省営繕管財局(担当:下元連)
旧官邸の逸話表に旧官邸をあしらった内閣制度創始100周年記念500円白銅貨幣
総理執務室前では記者の張り番取材が行われていた(現在の官邸では警備の関係上、取材スペースと執務関係エリアは分離されている)。また、副総理用の執務室も存在したが、「天井が低く、圧迫感がある」ということで余り使われず、歴代の副総理のほとんどは総理府に執務室を置いていた。
官邸の記者クラブの1階には1992年(平成4年)まで「スイス」という小さな食堂があった。歴代の総理も料理を注文をすることがあったという。重大事件が起きると官邸内にある小食堂が危機管理センターの役割を果たしていた(現在の官邸には危機管理室が設置されている)。
1階の西階段は組閣時に閣僚が記念撮影をする場所として広く知られた。1993年、約40年ぶりの政権交代で官邸の主となった細川護熙は、自民党政権の牙城だったこの総理官邸にさまざまな新風を持ち込んだ。組閣後の閣僚記念撮影では恒例の1階西階段の赤絨毯には見向きもせず、中庭の芝生の上で新閣僚がワイングラスを片手に懇談後、閣僚を生け垣の前に並ばせて記念撮影を行った( ⇒画像)。総理執務室では壁が殺風景だとして、壁紙を隅から隅まで貼りかえさせてもいる。総理や官房長官の記者会見を、演台の後方に立ったままで行う欧米式に切り替えたのも細川だった。
東條英機在任中は、ラジオ演説を行うための部屋があった。太平洋戦争開戦時の演説もここで行われたと言われている。太平洋戦争中には総理らが官邸を脱出するための地下トンネルがあった。60年安保で官邸がデモ隊に包囲されたとき、岸信介はこのトンネルから脱出したと、戸川猪佐武の『小説吉田学校』には書かれている。一部には堀り替えまでして残されていたという説もあったが、実際には高度成長期の地下鉄工事や周辺の再開発で取り壊されていたという。
他の役所と違って室名表示がなかったことや、官邸内が迷路のような構造になっていた為、歴代の内閣総理大臣が官邸で迷うことがしばしあった。
「舞踏場」としてつくられた大ホール
現在の官邸は2002年(平成14年)4月22日から使用されている。
地上5階、地下1階の鉄骨鉄筋コンクリート構造。最上階になる5階には内閣総理大臣、副総理(必要時に任命)、内閣官房長官、内閣官房副長官の執務室、4階には閣議室、内閣執務室が置かれ、この2層に執務機能が集中している。3階は事務室と玄関ホール、2階にはレセプションルーム(大小のホール)と貴賓室が設けられている。1階は記者会見室や記者クラブなど広報関係の施設がある。地階は総理官邸危機管理センターとなっている。また、屋上にはヘリポートが設置されている[14]ほか、官邸前にある池は、水を抜くことで非常用ヘリポートになるように設計されている。
傾斜地に作られているため、西側の入口は1階だが、東側にある正面の出入り口は3階となっている。同敷地内に官房長官公邸、宿舎などもある。
建設工事の際、山王パークタワーやキャピトル東急ホテルといった高層ビルが新官邸に隣接していることが問題となり、官邸からは、高層ビルに面した側から窓を取り除くなどの設計変更のうえ、高層ビルに対しては官邸に面した窓が開かないよう改修を要請した。さらにテロ対策として、敷地は高さ5メートル以上のコンクリート製防護壁で囲まれている。周辺の道路は警察官によって封鎖され、歩行者は基本的に通行できるものの、一般車両の通行は規制されている。 総理大臣官邸の警備は、敷地内は警視庁警備部警護課総理大臣官邸警備隊が担当し、敷地周辺は警視庁警備部機動隊(計9隊)が持ち回りで担当している。
官邸内に飾られる絵画や彫刻は、官邸事務所の所蔵品だけでなく、文化庁経由で無償で借り受けた日本美術展覧会入選作などが含まれている。
概略四階の特別応接室(この奥が首脳会議室になっている)
敷地の広さ:4万6000平方メートル
建物大きさ:敷地 90メートル × 50メートル 、高さ35メートル
延床面積:2万5000平方メートル
構造:地上5階、地下1階
建替え閣議決定:1987年(昭和62年)、第3次中曽根内閣当時
建設起工式:1999年(平成11年)5月22日、小渕内閣第1次改造内閣当時
新官邸開館(テープカット):2002年(平成14年)4月22日、第1次小泉内閣当時