江戸幕府の開幕後、秀康は松平姓を名乗った、徳川姓を称した、結城姓を生涯通したなど諸説ある。ただし現在残る書状・消息類の中で松平・徳川姓が表記されているものは無く、原則として結城のみである。「公卿補任」の慶長8年(1603年)条では「源秀康」とあり(結城氏は本来藤原姓であり、徳川(松平)氏は源姓である)、徳川もしくは松平を称していた根拠とする説もあるが、結城氏も朝光が、源頼朝の庶子であったとし、後世には源姓を名乗っていたとも言われ、確かな証拠とはならない。
結城姓は後に五男・直基(勝山藩3万石→大野藩5万石→山形藩15万石→姫路藩15万石。姫路入りの直前に死去)が秀康の遺言で継いだが後に松平姓に復し、形式上結城氏は滅亡している。
子は10人おり、越前藩は嫡子である松平忠直が継承した(忠直は松平姓)。なお、忠直の妻は2代将軍徳川秀忠の3女勝姫である。忠直と勝姫との間に松平光長が生まれた。その松平光長は93歳で死んでいる。光長には実の妹が2人おり、公家に嫁いでいる。秀康の後の5人の男子は越前松平家となっており、現在も子孫が続いている。秀康の子女は、忠直、忠昌、直政、直基、直良、喜佐姫、他に数人。
全国の大名のうち、越前藩は御三家に次ぐ制外の家とされた。これは普通ならば将軍職を継いでいるべき身分であったのに、家康に嫌われていたために庶子扱いされたことを不遇と見た弟・秀忠と、その気持ちを推し量った家康による罪滅ぼしの為であるともいう。なお、この特例は忠直以後の子孫達には受け継がれてはいない(光長は徳川御三家と駿府徳川家の次とされ、一応制外の家であったとの説もある)が、福井藩松平家、津山藩松平家や松江藩松平家の家格は、いわゆる親藩大名中でも高い。分家として明石藩松平家・前橋藩松平家など存在した。
※日付=旧暦
1574年(天正2年)2月8日 - 家康の次男として宇布見の中村家で生まれる。
1584年(天正12年)10月 - 羽柴秀吉の養子となり、羽柴の苗字を称し、元服し、羽柴秀吉の一字を賜り秀康と名乗る。従五位下侍従兼三河守
1585年(天正13年)7月11日 - 従四位下左近衛権少将。三河守如元。
1589年(天正17年)5月 - 結城晴朝の養子となる。
1590年(天正18年)8月6日 - 結城家の家督を相続する。
1597年(慶長2年)9月28日 - 参議。
1600年(慶長5年)11月15日 - 越前国北ノ庄に入る。
1603年(慶長8年)
1月11日 - 参議辞職。
2月25日 - 従三位。
1605年(慶長10年)7月26日 - 権中納言。
1606年(慶長11年)1月10日 - 権中納言辞任。
1607年(慶長12年) - 正三位。
6月8日 - 34歳で病没。梅毒に罹患していたようであり、それが原因で死期を早めたともいわれる。
1909年(明治35年)9月11日 - 贈正二位。
関連項目
江戸時代の人物一覧
結城氏
越前松平家
福井藩
山岡景猶(天正13(1585)年、小栗重国に加えて傅役となる)
テレビドラマ
『おんな太閤記』(1981年、NHK大河ドラマ、演:安田良智→深見亮介→中越司)
『徳川家康』(1983年、NHK大河ドラマ、演:堀秀行)
『独眼竜政宗』(1987年、NHK大河ドラマ、演:新田純一)
『葵徳川三代』(2000年、NHK大河ドラマ、演:岡本富士太)
ゲーム
『新 鬼武者 DAWN OF DREAMS』(カプコン)
『龍が如く 見参!』(セガ)
先代:
結城晴朝下総結城氏当主
第18代:1590 - 1604次代:
結城直基(松平直基)
先代:
-越前松平家(結城藩初代)
1590 - 1601次代:
水野勝長
先代: この「結城秀康」は、人物に関する書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正
-越前松平家(福井藩初代)
1601 - 1607次代:
松平忠直
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更新日時:2008年8月16日(土)05:19
取得日時:2008/10/05 03:20