1758年にフランスの重農主義の学派フランソワ・ケネー(1694?1774)が『経済表』を書き、国民経済の再生産システムを解明して、経済学の体系化の発端となった。
1776年にアダム・スミスにより資本主義工場生産について論じた『国富論』 (The Wealth of Nations)が書かれ、これが現在の理論化された経済学の直系で最古の理論に当たる。そのためスミスは経済学の父と呼ばれている。経済学では一般的に『国富論』を持って始まりとされる。またデイヴィッド・リカード(1772?1823)の『経済学および課税の原理』、マルサス(1766?1834)の『人口論』や『経済学原理』、ジョン・スチュアート・ミル(1806?1873)の『政治経済学原理』などがスミスに続いて英国古典派経済学の基礎を築いていった。
しかし発展過程で大きく経済学は二系統に分かれていく。すなわち「資本主義経済の現象を数値化して分析する」という潮流を受け継いだ、当時イギリスやオーストリアなどで登場した「限界効用」学派を中心とした近代経済学、そして「資本主義の本質を労働価値説に基づいて分析する」という潮流を受け継いだマルクス経済学(政治経済学)である。この二派の系統は、思想的立場、分析手法、理論形態の違いにより対立的な関係のまま発展を続けることとなる。
近代経済学はその後、ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズ(1798?1855)の『経済学の数学的一般理論の考察』や『経済学の理論』、レオン・ワルラス(1834?1910)の『純粋経済学要論』や『応用経済学研究』、カール・メンガー(1840?1910)の『国民経済原理』や『社会科学特に経済学の方法に関する研究』、アルフレッド・マーシャル(1843?1924)の『外国貿易と国内価値との純粋理論』や『経済学原理』、ジョン・メイナード・ケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』、ヨーゼフ・シュンペーターの『理論経済学の本質と主要内容』や『経済発展の理論』、などの研究を通じて発展していくこととなる。
一方マルクス経済学はまずカール・マルクスの『資本論』や『剰余価値学説史』などを通じて英国古典派経済学の労働価値説を継承しつつ新たに価値論や剰余価値論を体系化して、その上で資本の種類を分類して単純再生産や拡大再生産などの資本の運動法則を解明した。このことによって資本主義経済の全体構造の把握を目指した。さらにマルクス経済学はフリードリヒ・エンゲルスの『国民経済学批判要綱』や『反デューリング論』、カール・カウツキー(1854?1938)の『カール・マルクスの経済学説』や『エルフルト要領解説』、ルドルフ・ヒルファーディング(1877?1941)の『金融資本論』、ローザ・ルクセンブルク(1870?1919)の『資本蓄積論』、レーニンの『ロシアにおける資本主義の発達』や『帝国主義論』、などの研究を通じて発展していく。
近代経済学とマルクス経済学の二派は冷戦という政治的背景もあったために長期間にわたって対立してきた。しかしソ連が崩壊、共産主義国の没落、そして冷戦終了となるとマルクス経済学については否定的な研究・実証が多くだされた、また非数理的・非数量的・非実証的な点も大きく問題となった。これによって今日では市場に基礎を置く近代経済学=経済学となった、現在では共産主義を名のる中華人民共和国などでもほとんどの経済学者は近代経済学を研究している。
一方で、マルクス経済学が全て否定されたわけではなく一部は近代経済学に吸収されている。またアメリカを中心とする近代経済学はその非歴史的・非文化的なモデルをマルクス経済学やポストケインジアンなどによって指摘され、現代においては両者を学ぶことが求められているという声も存在する。また、環境破壊が現行経済制度の失敗であるとして、マルクス経済学を基礎とした新しい経済制度を模索する環境経済学も登場している。しかし、経済学の正統な一領域としては認められていない。
経済学は物理学の様に完全な科学ではないこと、存在自体が社会・政治・経済・政策と不可分である事、そのため学術的な論争、政策的な論争、数多の論争を生み出し消化してきた。それによって経済学徒は他学徒に「傲慢である」と印象を与えてしまうほど非常に攻撃的な知的スタイルを形成している。論争は経済学にとって理論を洗練させブレイクスルーを起こす役割を担ってきた。このように経済学と論争は切り離すことはできない、ここでは経済学において歴史的に重要な意味を持った論争を取り上げる。