外朝内金水河と文華殿
午門 : 天安門に入り、外朝の正門に当たる。官吏は午前4時にここで皇帝を遥拝することになっていた。
?金水河 : 「護城河」とも。紫禁城をぐるりと囲む堀で幅は52mである。
太和門 : 明代の名前は「皇極門」。明のころは皇帝がここで採決をした。
外朝三殿
太和殿 : 明代には「皇極殿」。宮廷の行事をするもっとも重要な建物である。
中和殿 : 明代には「中極殿」。皇帝の休憩所。
保和殿 : 明代の頃は「建極殿」。皇帝が更衣をする所であった。乾隆帝以来科挙の最終試験「殿試」が行われた。
文武ニ殿
文華殿 : 明代には皇太子が暮らし、「内閣」が置かれた。清代には「四庫全書」が収められ、儒教の講義が行われた。
武英殿 : 李自成が即位した。また、清朝の順治帝の摂政ドルゴンが北京を都とする詔書を発布したところである。明代には皇帝の斎戒や大臣接見の場となり、清代には御用絵師のアトリエになった。
内廷乾清宮の内部。玉座が安置されその上に「正大光明」の扁額がある。長西街故宮博物院の裏の正門となっている神武門
乾清門 : 内廷の正門。宮殿の造りで、内部には孔子を祀った一室があった。「南書房」、「軍機処」がおかれた。
乾清宮 : 皇帝と皇后の居住地。雍正帝のころには決済が行われ、皇帝の居住は「養心殿」に移る。宴に使用されたほか皇帝が死ぬと棺は一旦ここに安置された。
交泰殿 : 皇后の冊立の儀式が行われた。皇后は元旦、冬至、千秋(皇后誕生日)の祝賀をここで受けた。乾隆帝のころには印璽の収蔵に使用された。
坤寧宮 : 明代には1644年の北京陥落の時に、崇禎帝が皇后、公主を殺したところ。清朝では皇帝の結婚が執り行われる所となった。清朝では「朝神」、「夕神」という「満漢仏集合」の神々が祀られ、司祝というシャーマンによって「朝祭」「夕祭」「月祭」など満族のシャーマニズムの儀式が行われた。
養心殿 : 皇后の居住地である。西太后が「垂簾聴政」を行ったところ。溥儀が退位を宣言したところ。康熙帝のころ書斎とされ、次の雍正帝が寝所とし、政務をとった。
東六宮 : 妃たちの居住地である。咸豊帝の皇后、慈安皇太后が居住し「東太后」と呼ばれた。
西六宮 : 妃たちの居住地である。同治帝の生母、慈禧皇太后が居住し「西太后」と呼ばれた。
東西五所
御花園 : 楼閣があるほか「堆秀山」という山がある。
寧壽宮 : 明代には「仁寿宮」。乾隆帝が退位後居住した。
慈寧宮 : 乾隆帝の造営である。
建福宮
壽康宮 : 雍正帝が母后のために建立した。以来、皇太后、太妃の居住地となった。いまは「故宮博物館図書館」になっている。
壽安宮 : 明代には「咸安宮」。乾隆帝が母后のために再建立した。
英華殿 : 明代には万寿節が行われたところである。清代には皇后、皇太后、后妃たちの持仏堂が置かれた。
神武門 : 紫禁城の裏の正門に当たる。今は郭沫若の揮毫で「故宮博物院」の扁額が掲げられている。
付属遺構
西苑 : 紫禁城西部の「北海」、「中海」、「南海」の溜池と周囲の緑地に営まれた庭園と離宮群。北京の水確保のために作られたが、清代には皇帝、皇族などが庭園、離宮を造営した。いまは中華人民共和国の政府機関があり、非公開のところもある。
景山 : 紫禁城の裏山「景山公園」になっている。1644年明朝の崇禎帝が首をつって自殺したところである。
獅子(狛犬)
北京皇城見取図
関連項目ウィキメディア・コモンズには、紫禁城に関連する ⇒カテゴリと ⇒マルチメディアがあります。ウィキメディア・コモンズには、 ⇒故宮博物院 に関連するカテゴリがあります。
北京と瀋陽の明・清王朝皇宮
中華人民共和国の世界遺産
「トゥーランドット」-紫禁城で上演し話題になったオペラ
首里城
景福宮
外部リンク
⇒故宮博物院(北京)
ウィキ衛星地図の ⇒紫禁城(中国語)
⇒Wikimapia航空写真 - 紫禁城
カテゴリ: 中国の宮殿 | 中国の建築物 | 中華人民共和国の世界遺産 | 世界遺産 さ行 | 中国の建築史 | 北京の観光地 | 中華人民共和国全国重点文物保護単位
更新日時:2008年8月28日(木)11:56
取得日時:2008/09/06 03:56