第118特別国会会期:1990年2月27日 - 6月26日
衆議院議長選挙
櫻内義雄(自民党)-577票 無効-1票
衆議院副議長選挙
村山喜一(社会党)-508票
首班指名選挙(衆議院議決)
海部俊樹(自民党)-286票 土井たか子(社会党)-146票 石田幸四郎(公明党)-46票 不破哲三(共産党)-16票 永末英一(民社党)-14票
1989年4月の消費税導入後最初の総選挙であり、当初自民党は前回の第38回総選挙での300議席の圧勝からの反動も重なって厳しい戦いになると予測されていた。実際、同年6月の第15回参議院議員通常選挙では当選者数で社会党を下回り、参議院での過半数を大幅に割り込んで大敗北を喫している。しかし、同年秋に一気に進んだ東ヨーロッパ諸国の民主化によりソビエト連邦を中心とした東側社会主義陣営の崩壊が進んだ事で、自民党はこの選挙の争点を「体制選択」と設定する事に成功。好調な経済(「バブル景気」)を享受する国民の反共・保守的意識に訴えかけ、さらに参院選での惨敗から有権者に「もう十分だ」と思わせることにも成功。議席減を小幅に食い止め、追加公認を含めた議席数は286として、衆議院での単独過半数を維持した。
一方、社会党は前年の参議院選挙での圧勝を受け、衆議院での与野党逆転と政権獲得を目指した。しかし、長期低落傾向で党の基礎体力が落ちていたため、新たな候補者選定作業は難航し、特に中選挙区制での過半数議席獲得では絶対に必要な複数候補の立候補方針に対しては現職議員からの抵抗が強く、結局定数512に対して149人の公認候補しか立てられなかった。それでも社会党の当選者は1967年の第31回総選挙での140議席以来の議員数となったが、その半分は公明党・民社党などの他野党から奪った議席だった(残りの半分は、自民独占区からの議席奪還が多かった)。特に民社党は議席がほぼ半減の惨敗であった。公明党と民社党は、社会党が社公民路線と呼ばれる野党連立政権の相手と想定していたが、この選挙で社会党が一人勝ちした事に反発し、自公民路線と呼ばれる保守・中道連携路線が定着していった。また、共産党は消費税への反対票が社会党に集中し、自民党による体制選択の争点化でダメージを受けたため、議席数がほぼ半減した。
立候補者数は、自民党が公認だけで338名を数え、さらに実質自民系である保守系無所属は100名以上立候補していた。一方、社公民と社民連の公認候補は合計しても257名と過半数ギリギリでしか無く、野党系無所属候補も35名程度であった。野党は全体的に、候補を立てる能力が衰退していたといえる。
なお、この選挙では宗教団体のオウム真理教(現:アーレフ)が「真理党」を結成し教祖の麻原彰晃(本名:松本智津夫)や信徒の上祐史浩など25人を立候補させたが全員が供託金没収の惨敗となった。これにより教団の凶悪化がエスカレートしたと言われている。
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