競輪選手
■毎日更新無料動画!
■未公開流出画像満載

[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]


選手寿命

競輪選手は特に選手寿命が長いことで知られている。過去には66歳の競輪選手がレースに出走したこともあり、60歳を超える競輪選手は過去に何人も存在している[7]。また50代の競輪選手はそれほど珍しいものではない。

最近では2004年に当時45歳の競輪選手・松本整高松宮記念杯競輪を優勝し話題となる(直後に引退)。また1984年ロス五輪で銅メダリストとなった坂本勉は、現在においても最高位のS1に位置している。更には1955年生まれの竹内久人(2007年7月に引退)とその長男である竹内公亮選手は、2006年前期に共に史上初の親子S級在籍を経験した。

このように競輪選手の寿命が長い原因としては、競技の特性が上げられる。競輪は他のスポーツと違い、骨や関節に負担がかかりにくいと言われる。トラック競技をはじめ、野球サッカー相撲等の選手は筋肉より先に肘や膝などの関節部を悪くしてしまう事が多い。その為に30代で限界がきてしまうのであるが、競輪の場合は関節に負担がかかりにくい。よって落車により体を痛めない限り体への負担が軽いのである[8]

また、年をとるとハイパワーでの持久力が極端に減る。このことも他のプロスポーツでは致命的なハンデとなっている。しかし競輪の場合、追い込み戦法と呼ばれる戦法があることで他のプロスポーツと異なるアドバンテージを持っている。これは最後の直線までは自分とラインを組んでいる選手の後ろを回り、風除けにすることでハイパワーでの持久力を必要としない戦法である(風圧を受ける先頭選手の半分以下の消耗度で走れる)。従って、かなりの選手は年齢をとると追い込み戦法に変わることが多い。

このことは逆に選手の新陳代謝を阻害している側面も指摘されており、実際近年トップスターの座にいる選手の中には10年前からトップスターだった選手が何人もいる。よって古くからのファンは喜んでいるが若いファンの開拓には不向きな側面もあるといわれる。事実、2005年度のオールスター競輪の決勝では10?15年前が全盛時の選手が数人居たため、”タイムスリップしたようだ”などと揶揄された。

なお最高齢の最高格付記録は、S級S班(2008年新設)が1965年2月13日生まれの遠澤健二選手で、 S級1班は1957年1月1日生まれの伊藤公人選手が、それぞれ2008年7月時点において更新中。また実働最高齢選手は1948年9月1日生まれの竹田恵一選手が活躍中。


日本競輪選手会

競輪もプロ野球選手同様、日本競輪選手会(以下 選手会)という組織が存在する。非常に強い権限を持っており、事実上、選手の雇用主としての側面もある。

競輪選手は選手会の全国の支部に所属しなければならない。そうしないと競走の斡旋をJKAから拒否される。

選手へのペナルティを参加自粛要請という形で、JKAとは独立して行うこともあり、しばしば二重制裁と言われる。

また、競輪とは関係ない独自の事業を行って、選手会への積立金を立て、会員に還元する試みを近年行っている。

選手会の幹部は競輪選手ではあるものの、競走へはあまり参加していない。これは選手会の業務が忙しいためと言われる。そのため何年も競走へは参加していない幹部も多い。しかし特別に登録消除(引退)にはならない規則となっている[9]

プロ野球の選手会と違い、競輪の選手会はマスコミやファンにはあまり人気があるとは言えない。これは1989年KEIRINグランプリを、賞金の値上げ闘争の代償に中止へ追い込んだことが始まりとされる。この際に「ファン無視」と当時のスポーツ新聞は大々的に書きたてた。その後も出走ゲートに選手が揃ったにも関わらず、先頭誘導員に出走拒否命令を下し、開催が中止になったこともある。これも選手会の闘争の一環として行われたが、ファンとマスコミからは大ブーイングを浴びた。

さらに松本整元選手との争いも有名である。松本整が現役時代に引退前年のレースで失格を連発した際に、選手会が先述の「二重制裁」を加えたことついて、松本整は「選手会は僕を守ってくれなかった」と反発した。この争いについては双方に言い分があるのだが、ファンや競輪マスコミは松本整を支持する声の方が強かったのが現実である。結局、松本整はそれまでのS1からいきなりA級に降格を決められたことや、自身を守ってくれなかった選手会に反発し、2004年高松宮記念杯競輪優勝を花道に引退して競輪界を震撼させた。


女子競輪選手

1948年(昭和23年)11月から1964年(昭和39年)9月までは、女性の競輪選手による「女子競輪」が開催され、女性誌等で「ミス・ケイリン」と取り上げられるなど、多方面に話題を提供したこともあった。

最盛期には600人を超える選手が在籍していたこともあったが、選手間での力の差があり過ぎてレースが堅く収まってしまうことが多く[10]、ファンから見てギャンブルとしての魅力が乏しかった事などから多くの競輪場が女子競輪の開催に及び腰となり[11]、結局廃止に至ることになった。末期に残った200人程の選手は廃止直後に全員選手登録消除⇒引退となった。ちなみに代表的な女子選手として、奈良田中和子神奈川の渋谷小夜子などがいた。

なお女子選手が男子選手と結婚し、その子供も競輪選手になったという例もあり、中野浩一もその中の一人である。


その他・特徴

競輪の歴史は半世紀を超え、競輪選手の数は最大期には4,500人に近い数字を保ってきた。このため、競輪選手には社会の縮図としての側面が見受けられる。具体的に言えば、二世選手、兄弟選手、珍名の選手、元教師・元警察官等の転職歴がある選手、副業を行っている選手、有名人が家族にいる選手、子女の非行に悩まされる選手、競輪場以外で事故死する選手、逮捕される選手、より良い環境を求めて地元から遠方へと本拠地を移転する選手など様々である。残念ながら過去には選手自身が自転車競技法違反で逮捕される事例もあったが、ここ20年ほどは発生していない。ちなみに選手会の力が非常に強いため、自転車競技法に関する事例を除き悪質な犯罪でない限り、逮捕されてもすぐに登録消除にはならないようである。しかし最長1年以上の出場停止を科された例はある。

競輪選手はその仕事の性質上、毎月3分の1程度は家を空ける事になり、その間は隔離状態に置かれて家族との連絡も基本的に一切許されない。その為、個々のケースでの真偽の程では定かではなく、また噂の域を出るものではないにせよ、競輪選手が離婚した際に、表向きはともかく実際の原因は夫人の浮気であったという話が多く聞かれる、という職業的特徴がある。

競輪選手になる前は、大半の者が高校生または大学生であり、学生スポーツや実業団などでアマチュアで自転車競技を経験している者、トレーニングの一環として自転車競技と同様の練習を行っていた者も多い。ただし中には他のスポーツから転向する者も見られ、上述した様にスピードスケート競技で世界トップレベルの実績を残して競輪に転向する者もいるなど、適性と能力次第ではあるものの、他のアマチュアスポーツの選手がその運動能力を活かしてプロのスポーツ選手へと転職する際の、一つの大きな受け入れ先という側面も持っている。

自転車競技経験を全く持たない者としては、プロ野球の選手を経験した後に競輪選手へ転向したものが数名おり、他にも学生野球陸上競技ラグビー大相撲・オートバイモトクロスの経験者などが競輪選手となった例がある。


■毎日更新無料動画!
■未公開流出画像満載

[次ページ]
[オプション/リンク一覧]
[記事の検索]
[おまかせ表示]
[トップページ]
[ニュースをチェック!]
[列車運行情報]
Size:40 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki