なお、上記2名はプロの競輪選手として選手登録される前にアマチュア選手として出場したものである。
十文字貴信・神山雄一郎 - 1996年 アトランタオリンピック
十文字貴信は1kmタイムトライアル種目で銅メダル獲得
神山雄一郎・稲村成浩・太田真一・長塚智広 - 2000年 シドニーオリンピック
伏見俊昭・長塚智広・井上昌己 - 2004年 アテネオリンピック
全員日本代表チームとしてチームスプリント種目で銀メダル獲得
高校・大学時代から他の競技で活躍した選手が競輪選手に転向する例も多いが、中には他競技でのオリンピック出場者が後に競輪選手へ転向した例もある。
市村和昭 - 1980年 レークプラシッドオリンピック出場・スピードスケート
三谷幸宏 - 1988年 カルガリーオリンピック出場・スピードスケート
西谷岳文 - 1998年 長野オリンピック 金メダル・スピードスケートショートトラック500m
植松仁 - 1998年 長野オリンピック 銅メダル・スピードスケートショートトラック500m
武田豊樹 - 2002年 ソルトレークシティオリンピック 8位入賞・スピードスケート500m
牛山貴広 - 2006年 トリノオリンピック出場・スピードスケート
今井祐介 - 1998年 長野オリンピック、2002年 ソルトレークシティオリンピック、2006年 トリノオリンピック出場・スピードスケート
競輪選手は特に選手寿命が長いことで知られている。過去には66歳の競輪選手がレースに出走したこともあり、60歳を超える競輪選手は過去に何人も存在している[7]。また50代の競輪選手はそれほど珍しいものではない。
最近では2004年に当時45歳の競輪選手・松本整が高松宮記念杯競輪を優勝し話題となる(直後に引退)。また1984年のロス五輪で銅メダリストとなった坂本勉は、現在においても最高位のS1に位置している。更には1955年生まれの竹内久人(2007年7月に引退)とその長男である竹内公亮選手は、2006年前期に共に史上初の親子S級在籍を経験した。
このように競輪選手の寿命が長い原因としては、競技の特性が上げられる。競輪は他のスポーツと違い、骨や関節に負担がかかりにくいと言われる。トラック競技をはじめ、野球、サッカー、相撲等の選手は筋肉より先に肘や膝などの関節部を悪くしてしまう事が多い。その為に30代で限界がきてしまうのであるが、競輪の場合は関節に負担がかかりにくい。よって落車により体を痛めない限り体への負担が軽いのである[8]。
また、年をとるとハイパワーでの持久力が極端に減る。このことも他のプロスポーツでは致命的なハンデとなっている。しかし競輪の場合、追い込み戦法と呼ばれる戦法があることで他のプロスポーツと異なるアドバンテージを持っている。これは最後の直線までは自分とラインを組んでいる選手の後ろを回り、風除けにすることでハイパワーでの持久力を必要としない戦法である(風圧を受ける先頭選手の半分以下の消耗度で走れる)。従って、かなりの選手は年齢をとると追い込み戦法に変わることが多い。
このことは逆に選手の新陳代謝を阻害している側面も指摘されており、実際近年トップスターの座にいる選手の中には10年前からトップスターだった選手が何人もいる。よって古くからのファンは喜んでいるが若いファンの開拓には不向きな側面もあるといわれる。事実、2005年度のオールスター競輪の決勝では10〜15年前が全盛時の選手が数人居たため、”タイムスリップしたようだ”などと揶揄された。
なお最高齢の最高格付記録は、S級S班(2008年新設)が1965年2月13日生まれの遠澤健二選手で、 S級1班は1957年1月1日生まれの伊藤公人選手が、それぞれ2008年7月時点において更新中。また実働最高齢選手は1948年9月1日生まれの竹田恵一選手が活躍中。
日本競輪選手会
競輪もプロ野球選手同様、日本競輪選手会(以下 選手会)という組織が存在する。非常に強い権限を持っており、事実上、選手の雇用主としての側面もある。
競輪選手は選手会の全国の支部に所属しなければならない。そうしないと競走の斡旋をJKAから拒否される。
選手へのペナルティを参加自粛要請という形で、JKAとは独立して行うこともあり、しばしば二重制裁と言われる。
また、競輪とは関係ない独自の事業を行って、選手会への積立金を立て、会員に還元する試みを近年行っている。
選手会の幹部は競輪選手ではあるものの、競走へはあまり参加していない。これは選手会の業務が忙しいためと言われる。そのため何年も競走へは参加していない幹部も多い。