秦といえば商鞅により作られた法家思想による厳しい法律というイメージだが、実際にどのように法律が運用されていたかは資料が乏しく分からないことも多い。
漢の蕭何は劉邦に伴って咸陽に入城した際に秦の書庫から法律の書物を獲得し、後にこれを元として「律九章」と呼ばれる法律を作ったという。であるから漢初の法律は秦の法律を基本としてると考えて良いだろう。この「律九章」は盗・賊・囚・捕・雑・具・興・厩・戸の九律があったと『晋書』にはある。しかしこの記載が『漢書』にはないので、この記事自体を疑う声もあるが、ともあれ秦の法律に関する資料の一つである。
そして秦の法律に関する一次資料として『睡虎地秦簡』と呼ばれるものがある。これは1975年に湖北省雲夢県で発掘された秦の法官であったと思われる喜と言う人物の墓に入れてあった竹簡群で、秦の法律に関する事柄が記載されている。
始皇帝は統一後に度量衡の統一、それまで諸国で使われていた諸種の貨幣を廃止して秦で使われていた半両銭への統一、車の幅の統一などを行った。
ただし、近年の研究や出土史料によれば、一般に言われる始皇帝によるとされる、度量衡の統一や過酷な法律については、再考の余地があるようである。ことに、始皇帝によって発行された統一通貨・半両銭は、秦が本来統治していた地域以外では、あまり出土しておらず、『史記』の記述によれば、始皇帝は通貨の鋳造・改鋳は行ってはおらず、それが行われたのは、二世皇帝の即位直後である。これが真実とすれば、世間に伝えられる暴君としての始皇帝像は、誤ったものであり、秦が滅亡した一因として、二世皇帝の経済政策の誤りが考えられる。
統一前の秦に関する資料として石鼓文(せっこぶん)・詛楚文(そそぶん)と呼ばれるものがある。
石鼓文は鼓の形をした石に文字が刻まれたものであり、現在は北京の故宮博物院に保存されている。発見されたのは陝西省鳳翔県と言われており、成立時期は穆公以前の時代と考えられている。その内容は宮中での生活や狩猟の様子などを韻文にして書かれている。
詛楚文は秦の強敵であった楚を呪詛する内容であり、こちらは現在は失われているが、内容は写されて現在に伝わっている。
この二つに使われている書体は秦が独自に作ったものであり、この書体を石鼓文と呼んでいる。始皇帝は統一時に書体も改めて新しい篆書(てんしょ)と言う書体を流通させた。
思想的には法家が当然強いが、しかし道家も同じように強かったようである。この両者は思想的に繋がる部分があると指摘されており、『史記』で司馬遷が老子と韓非子を『老子韓非列伝』と一つにしてあることもこの考えからであろう。後に法家と道家を混交したような黄老の道と呼ばれる思想が前漢初期の思想の主流となっている。
世界遺産に登録されている始皇帝陵は、始皇帝が13歳の時から建築が開始されたもので、20世紀後半になって発掘され、今まで不明瞭だった秦の時代の文化が伺えるようになっている。
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簡公
恵公
出公
献公
孝公
外部リンク
⇒史記秦本紀(漢文、簡体字)
⇒史記秦始皇本紀(漢文、簡体字)
⇒秦始皇兵馬俑博物館
⇒二十五史 (簡体中国語/繁体中国語)
⇒考古用語辞典 ⇒秦漢時代
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カテゴリ: 春秋戦国 | 秦漢 | 中国の歴史 | かつて存在したアジアの国家
更新日時:2008年8月18日(月)11:51
取得日時:2008/08/19 01:55