科挙
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制科

制科とは、普通の科挙では見つけられない大物を官僚に採用するため、天子の詔で不定期に実施された試験である。隋代から始められ、唐・宋時代にも行われた。清朝の1678年にも行われた記録がある。科挙出身の官僚は制科出身の官僚と派閥争いを行ったが、人数が圧倒的に多い科挙出身の官僚が優位に立った。


外国への影響


ベトナム

1075年に科挙を導入し、中国が廃止した後の1919年まで存続した。


朝鮮

朝鮮半島の高麗李氏朝鮮でも、中国式の科挙が導入されていた。朝鮮王朝の科挙は、法的には特別な場合ではなければ全ての良民が受験可能だったが、実際では経済的理由で貴族層である両班ではなければ受験が難しかった。朝鮮後期には三代の間に科挙の及第者を輩出しなければ、両班と認められなかった。科挙の実施は礼曹が行い、及第者からの官僚への人選は文官は吏曹が、武官は兵曹が担当する。これは、唐以来の中国の制度を準用したものである。

現在でも、科挙の名残として「高等考試」(日本の国家公務員一種試験に相当)がある。また、全国から受験者が集まるソウル特別市の公務員試験の様子を、かつて科挙受験のために漢陽(現在のソウル)に集まった状況に例えて、ニュース等で「現代版科挙」と言われる場合もある。


日本

日本でも、平安時代に科挙が導入されたが、受験者の大半は下級貴族で、合格者は中級貴族に進める程度であった。このため、大貴族と呼ばれる上級貴族層には浸透せず、当時の貴族政治を突き崩すまでには至らなかった。その後は、武士階級の抬頭とともに廃れ、江戸時代までは、官僚は世襲制が主となり、科挙が日本の歴史に影響を与えることは無かった。

しかし、明治政府では、日本にも科挙形式の官僚登用制度が導入された。1894年に始まった高等文官試験(現在の国家公務員一種試験の原型)は科挙を参考にして作られた制度であり、試験科目は儒学ではなく、西洋の近代学問となった。


その他

学問を科す試験によって官僚を登用するという科挙のシステムは、近世ヨーロッパにも紹介され、各国の官僚登用制度の手本となった。


脚注

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^ これを官吏登用試験とするのは誤りである。科挙時代の中国においては「官」と「吏(胥吏)」は全く違う存在である。中国の官僚制度を理解する上で「官」と「吏」を混同するのは致命的な誤りを犯す可能性があるので、注意を要する。


参考文献

宮崎市定『科挙史』(平凡社東洋文庫、1987年) ISBN 4-582-80470-5

宮崎市定『九品官人法の研究 科挙前史』
(同朋舎、1985年) ISBN 4-8104-0423-4中公文庫、1997年) ISBN 4-12-202991-0

宮崎市定『科挙 中国の試験地獄』
中公新書、1979年) ISBN 4-12-100015-3(中公文庫BIBLIO、2003年) ISBN 4-12-204170-8

村上哲見『科挙の話 試験制度と文人官僚』(講談社学術文庫、2000年) ISBN 4-06-159426-5

李成茂 著\平木實、中村葉子 訳『韓国の科挙制度 新羅・高麗・朝鮮時代の科挙』(日本評論社、2008年) ISBN 978-4-535-58517-1


関連項目

マンダリン (官僚)

太學

大学寮

詩博士

士大夫

明経道

五経博士

圧巻

破天荒

八股文

儒林外史 - 清代、名門に生まれたが、任侠のために家屋を失った呉敬梓は、科挙と官僚の腐敗・堕落をテーマの小説を書いた。(増井経夫『大清帝国』(講談社学術文庫、2002年) ISBN 4-06-159526-1 374頁を参照)

カテゴリ: 儒教 | 科挙

更新日時:2008年9月14日(日)07:39
取得日時:2008/10/04 20:46


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki