詳細は2007年自由民主党総裁選挙を参照
2007年9月12日に安倍晋三が内閣総理大臣、自由民主党総裁の辞任を表明し、その翌13日、自由民主党総裁選挙への出馬意思があると報道され、自身も出馬の方針を示した。
15日、自由民主党総裁選挙に立候補の届出をした。対立候補として麻生太郎が立候補したが、町村派含めたほぼすべての派閥(事実上、麻生派以外の全派閥)が福田支持を決定しており、圧倒的優位が伝えられていた[18](ただし、実際は各派閥の所属議員に対する拘束力が弱まっており圧倒的ではなかった)。また、小泉純一郎も事実上福田支持となった。
福田内閣2007年11月16日、ホワイトハウスでの共同記者会見後、アメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュと第34回主要国首脳会議にて議長に就任
詳細は福田康夫内閣、大連立構想 (日本 2007)をそれぞれ参照
2007年9月23日実施の自民党総裁選において330票(麻生:197票 無効票:1 計528票)を獲得し当選、第22代総裁に就任。
同年9月25日に開かれた内閣総理大臣指名選挙(首班指名選挙)において、与党が過半数を占める衆議院では圧倒的多数で指名されるが、逆に野党が過半数を占める参議院では、民主党の小沢一郎が指名されるという“ねじれ国会”(逆転国会)の象徴的現象が起きた。両院協議会が開催されるが議論はまとまらず、法規に則り衆議院の議決が国会の議決となり、福田が内閣総理大臣に指名された。内閣の組閣に当たり、記者会見で福田は、「一歩でも違えば、自民党が政権を失う可能性もある」と指摘した上で、「背水の陣内閣」と自身の内閣を命名した。
翌9月26日に宮中での親任式を経て正式に第91代内閣総理大臣に就任し(福田康夫内閣)日本憲政史上初の親子での総理大臣となった。就任年齢となる71歳は、奇しくも父・赳夫が首相に就任した年齢と同じ(赳夫は71歳11ヶ月と10日、康夫は71歳2ヶ月と10日)となった。
同年11月、福田と民主党代表小沢一郎との間で大連立構想が模索されたが頓挫し、一時は小沢が代表辞任を表明するなど混乱したが、その後、与野党は対決姿勢を強めることになった。第169回国会では、内閣総理大臣に対する問責決議が参議院で可決されたが、翌日には内閣信任決議が衆議院で可決された。なお、首相への問責決議案が国会で可決されたのは、田中義一[19]、吉田茂[20]に続き3人目である。
詳細は福田康夫内閣改造内閣を参照
2008年8月2日、内閣改造により福田改造内閣が発足した。それに併せて、麻生太郎を幹事長に指名するなど、自由民主党執行部の人事も刷新した。閣僚の参議院枠は参議院自民党の推薦に基づき選抜するのが慣例だが、今回の組閣では参議院会長尾辻秀久による推薦を一切無視し、福田の独断で林芳正や中山恭子らを入閣させ舛添要一を留任させた[21]。また、副大臣も党執行部の推薦に基づく選抜が慣例だが、今回は党からの推薦が差し戻され、閣僚経験者の鴨下一郎らが起用された。
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