福原愛
話題の着エロボイス!
今なら無料ダウンロード♪

[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]


卓球スタイル

右利き前陣速攻。中国卓球の経験を積んでいる事から、中国スタイルの卓球である。その為中国人には手の内が読まれ苦手意識があるが、中国以外のヨーロッパ等の選手に強いのが特徴である。

世界ランキングは日本でトップだが、国内大会に弱く優勝タイトルに乏しい。全日本卓球選手権でもベスト8が最高と不本意な成績を残している。優勝を絶対視され最高学年で参加した2007年高校総体でも準優勝に終わった。

ペースの速い卓球で、ラケット裏面には粒のある表ソフトラバーを貼り、ナックルなどの変化球を出せる。ちなみに、小学生の頃は日本卓球協会の規定で違う種類のラバーを貼れなかった為、両面表ソフトラバーであった。

「試合中、みんなが思っている以上に何も考えていません」と話すように、作戦をあまり考えないタイプの選手で、代表監督からも怒られたりしていた。それゆえに研究されると弱い一面を持ち、本人は「ビデオ研究すると、相手が強く見えるから嫌い」とあまり研究したがらない。その割にラバーを貼ったりするところを見られるのを非常に嫌い、会見などで自分の問題点を言う事を避けたがる一面も持つ(相手に有益な情報が広がる為)。

流れを変えるのが難しいらしく、勝つときは圧勝して勝つが、流れが悪くなるとその流れを変えられない事も多い。体がやわらかく低い打球点から繰り出すバックハンドは世界でもトップクラスである。中学、高校前半の頃はよくピンチで王子サーブというしゃがみ込みサーブを使っていたが、今は返されることが多い為、全く使っていない。単調なショートサーブが多く、またフォアハンドが弱い事も課題として度々指摘されている。

福原は当初あまりかけ声を出していなかったが、中学後半ぐらいから徐々に大きなかけ声を出すようになり、アテネ五輪で「サー!」は福原の代名詞ともなった(もっとも卓球でこのように声を出す選手は多く決して珍しいことではない)。ただ、強い相手などにはかけ声が全然出ない事もある。「サー!」のかけ声には最大で3連続「サー!サー!サー!」もあり、「サー!ナイスボールサー!」もある。気合が入ると相手がミスしても「サー!」が出る。声が裏返る時もあり、年々闘争心が強くなっている。福原は「かけ声をかけるという事は、自分が点を入れているという事なので、いっぱい叫びたいですね」と話す。声の音程には気を使っており、「会場で他の人と同じような音を出すと意味が無いじゃないですか」ということで今の甲高い声になったらしい。




「シングルより団体戦の方が好き」と昔から話している。応援の声も人一倍高く、熱心に応援している。

小学校時代は「ヨー!」(「よーし」の略)というかけ声を使っていたが、中学以降は思春期に入ったためにこのかけ声を使わなくなり、その代わりに中国の選手たちの影響で「サー!」を採用したことを、2006年10月30日放映のフジテレビ系列番組SMAP×SMAPで明らかにした(たまに間違えて「ナー!」になる事があるらしい)。

小さい頃から天才少女と言われてきた理由の一つに、同世代の国内選手には絶対負けなかった事がある。中1で全日本ジュニア(高校以下)を制すとその後3連覇。どの大会でも一度も負けなかった。だが2006年8月のインターハイ、シングル決勝で同じ年齢の宇土弘恵(就実)に初めて負けを喫した(ストレート負け)。尊敬する選手は王楠。左利きに憧れている。国内ではカットマンや、粒高ラバーなどの異質攻撃選手に苦手意識があるようである。

2004年度末まで日本代表監督は西村卓二で、特に中学時代多くの熱血指導を受けてきたが、その後は近藤欽司が協会より代表監督に指名され、現在も指導している。

2007年全日本後あたりにラバーをよりはずむものに変え、フォームも振りを大きくするなど今までに無い改革に取り組んでいる。2006年11月のワールドカップでティエにストレート負けしたのを見て父は、海外では速い球を打てないと通用しない、と考え「一度愛の卓球スタイルをぶっ壊す」と言っていた。(しかし、その後もスランプが続いたため、戻したという話もある。)

幼児期を除いて試合後、泣くことはほとんどなく、また勝って泣いたことは一度も無かったが、2008年2月の第50回世界卓球選手権広州大会、予選の韓国戦では5番手でフルセット、デュースの末に勝利し一位通過を決め、福原は珍しくメンバーと号涙し、喜んだ。


エピソード

血液型はB型。お菓子が大好き。好きな飲み物はクリームソーダ。

愛犬は黒のミニチュアダックスフント。名前はチャッピー。2006年10月に購入。当初、福原はトイプードルを買いたかったらしいが兄に「それじゃ、浅田真央ちゃんとかぶっちゃうよ」とさとされミニチュアダックスフントにした。

口ぐせは「すごい」で、会見では頻繁に聞かれる。「やばい」「超」なども普段はよく使う。

携帯メールが好きで多用している。アテネ前の話では一日100件、多い時で150件していた。しかし中国に行くと日本との交信が難しくなり、最近は少なくなっていると話している。

両親はともに秋田県出身。

2008年5月4日仙台市体育館で開催された北京五輪壮行試合と日本リーグ・ビッグトーナメント仙台大会に出場した福原は、開始式で「青葉区国見ヶ丘出身です」と発言し、会場を沸かせた。この大会には、福原のほかに仙台育英学園高等学校卒の平野早矢香および岸川聖也の両選手も出場し、仙台ゆかりの北京五輪卓球代表3人が揃って参加し賑わった。

「愛」という名の由来は母方の祖母、愛子から一字もらっており、「みんなに愛されるような子に」という願いをこめて父が命名した。卓球を始めたきっかけは、10歳離れた兄が中学から卓球をはじめ、経験者の母は息子の卓球練習にかかりっきりになり、自分もかまって欲しくてやりはじめた事だった。

NHK、2004年正月の番組で足型を取ったところ偏平足であった(他にイチロー末続慎吾も)。フジTVでは安藤アナが多くの練習で足の裏にまで筋肉がついた為に扁平になった、と説明したことがある。足は24cmと大きいので、本人はもっと身長が伸びると思っていたが中3で成長は止まってしまった。現在公称155cm。

時期により体重の増減が大きい(練習量が多く、その分食べる為)大きな大会が始まると緊張、疲れから食が進まなくなり痩せてしまう為、大会前は多少体重を増やして臨むことが多い。ベストは48キロ。母は小さい頃食が細いのを心配していたが、今はその必要はないようである。

アテネ五輪では家族が大量のおにぎりを会場に持参したが、入り口の持ち物チェックで「爆弾ではないか」と係員に一時引き止められた。

「20歳になったら自由なので早く(20歳に)なりたい」と話している。

子供好きだが、小、中学生ぐらいの大きな子は苦手と話している。

2004年1月のクロアチアオープン中に39度の高熱になり、スポーツニッポン新聞がマスク姿の福原を一面に載せた。

2006年4月26日に世界卓球選手権(テレビ東京)の放送時間が30分延長され、同日の番組が30分ずれたが、その為番組の録画に失敗したということで抗議文と人骨のようなものが局に送りつけられた。番組はTV東京アニメ「いぬかみっ!」とされている。差出人は分かっていない。同日はシンガポールとの一戦で、福原愛が強豪リ・ジャウエイを下し、予選リーグ通過を決めた試合だった。

大阪は2008年度五輪開催地として正式に立候補し、さまざまな招致活動を行ったが(大阪オリンピック構想)福原愛を誘致のシンボルの一つとした(福原が大阪に引っ越した一つの要因ともされる)。大阪は大阪五輪の盛り上げの一環として、2001年に世界卓球選手権シングル、団体(同時開催)を大阪に誘致し、福原愛もエキシビジョンとして桂三枝とオープニングマッチを行なうなどして、盛り上げた。


近所セレブを即検索
永久無料セレブマップ

[次ページ]
[オプション/リンク一覧]
[記事の検索]
[おまかせ表示]
[トップページ]
[ニュースをチェック!]
[列車運行情報]
Size:68 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Smilegreen