ベトナムでは、1945年、終戦の混乱に乗じて旧仏領インドシナ地域が独立を宣言し、ベトナム民主共和国(北ベトナム)が成立した。しかし、1946年にはフランスが東南アジアの利権を守るべく傀儡政権のコーチシナ共和国を成立させたことで、国土は分断状態に置かれた。その後、南北の対立は続き、断続的に戦争が行われた。北ベトナムはソ連・中国の(中ソ対立ではソ連側に付いた)、南ベトナムは初めフランスの、後にアメリカ合衆国の支援を受けていた。1975年、北ベトナム軍は南ベトナムの首都サイゴンを陥落させ、社会主義国としての統一を実現した。周辺国のカンボジア、ラオスも社会主義国となった。
1976年にはアンゴラ、1978年にはエチオピア、モザンビーク、南イエメン、アフガニスタンで社会主義政権、もしくは親ソ政権が誕生した。
これらの動きに対し西側諸国は、革命に反対する勢力への武器提供や資金援助を行った。その結果、いずれの勢力も主導権を握ることが出来ず、いつ果てるとも知れぬ泥沼の内戦を繰り広げることも多かった。
これら社会主義諸国の間でも様々な紛争が起り、「共産主義は一枚岩」(社会主義国は将来的には共産主義を実現すると標榜していた)という理念は短期間で崩壊した。ハンガリー事件、ソ連と中国の対立、ソ連のチェコスロバキアへの軍事介入、ソ連のアフガニスタン侵攻、中国のベトナム侵攻などである。
ソ連共産党による体制が消耗を見せ、ベルリンの壁崩壊などの東欧諸国の民主化やペレストロイカを経て、1991年、世界初(パリ・コミューンを除く)にして最大の社会主義国家、ソビエト社会主義共和国連邦が崩壊した。重しの外れたヨーロッパの社会主義国は次々に社会体制を改め、現在ヨーロッパには社会主義国は残っていない。アジア(中華人民共和国、ベトナム、ラオス、北朝鮮)と中米(キューバ)では一党独裁制の社会主義国が残っている。それらの国々でも、現在では北朝鮮を除けばある程度開発独裁的な体制(社会主義市場経済、ドイモイなど)を取りつつある。
チリでは、1970年の自由選挙においてサルバドール・アジェンデが大統領に選出され、社会主義政権が合法的な(革命を伴わない)形で誕生した。この動きが中南米に広がることを危惧したアメリカ合衆国は反政府勢力を支援し、チリの政情は不安定な状態となった。1973年にはアメリカ中央情報局(CIA)の後援を受けたアウグスト・ピノチェト将軍らによるチリ・クーデターが成功を収め、軍事独裁体制へと移行した。民主的な選挙による社会主義政権は足掛け4年の短命であった。
暴力革命によってプロレタリア独裁を実行したことから、結果的に社会のあらゆる組織や営みを国が管理・支配する社会が生まれた。言論の自由がなく、秘密警察が市民を監視する社会である(当時ルーマニアでは人口2,300万人に対し、秘密警察は200万人いると言われていた。無論常識をはるかに上回った数字であり、歴史修正主義者によるプロパガンダとの批判もある)。体制の最高指導者の政策に異議を唱えるものは、「人民の敵」「反革命分子」等の烙印を押され、まともな裁判も受けられずに処刑され、または収容所や精神病院へ送られた。ソ連においてはスターリンによる粛清が最も悪名高く、独ソ開戦当初ソ連軍の敗北が続いたのは、軍隊での大量粛清の影響だとする説もある程であった。このような弾圧は言論のみならず芸術や宗教、数々の演劇関係者、演奏者、作曲家、文学者が「反革命的」であるとして断罪され、ある者は銃殺され、ある者は公表の機会を奪われ、ある者は作風を変えられ、ある者は家族を捨てて亡命した(例えばメイエルホリド、ソルジェニーツィン、ショスタコーヴィッチ。