積み出し港の名から伊万里焼と呼ばれた肥前磁器は、江戸時代後期まで隆盛を極め、また中国風の赤絵などのデザインだけでなく、日本独自の酒井田柿右衛門による濁手、金襴手などが生まれ、明末清初の混乱で磁器生産が滞った中国に代わってヨーロッパにも輸出され、高い評価を得た。また鍋島藩では藩窯として生産を行ない、美しく緻密な作品が作られた。江戸時代後半には磁器焼成は九谷、砥部など各地に広まり、明治頃には瀬戸で大量に生産されるようになり、庶民にも磁器は広まっていった。
明治以降はゴットフリード・ワグネルなどからヨーロッパの科学技術を取り入れて、生産効率が飛躍的に向上した。具体的には、
鉄道・汽船など輸送手段の発展により原料となる陶土の選択肢が増加。
機械化や泥しょう鋳込法導入による成形の高速化。
科学的な精製による顔料調合の効率化。
ガスや電気、石炭を燃料とし、より正確な焼成の温度管理が実現。
などの要因が挙げられる。そしてジャポニズム趣味の流行や国内の安価な労働力を背景として、職人を吸収した会社組織による洋食器の輸出が盛んに行なわれた。戦前は日本の主な輸出産業の一つであり戦後も輸出は伸び続けた。アメリカの陶器メーカーであるWeller社やMaccoy社などが、20世紀前半には繁盛したものの1940年代以降衰退、廃業したのも日本製陶磁器に圧されたのが原因の一つと言われている。しかしその後、円高などにより1980年代以降は輸出が急減した。
近年では、原料にアルミナを配合して強度を増した強化磁器が小児向け食器として生産され、環境ホルモン物質の滲出が懸念されたプラスチック製食器に代わって学校給食で採用されている。
関連項目
有田焼
姫谷焼
九谷焼
砥部焼
陶磁器
土器
?器
カテゴリ: 陶芸
更新日時:2008年3月20日(木)14:59
取得日時:2008/08/16 16:33