1588年のアルマダの海戦でイングランド(イギリス)は、射程の長く弾の再装填がしやすい軽砲を用いて重砲のスペイン無敵艦隊を撃破した。
ドイツ三十年戦争では、各勢力が野戦に適した牽引砲を使用し、ドイツの国土や都市を荒廃させた。スウェーデンの王グスタフ・アドルフは大砲の軽量化を推し進め、効果的に運用した。彼は、戦闘のみならず、戦争全体に革命を起こしたと言ってよい。
フランス革命でナポレオン・ボナパルトは、ヴァンデミエールの反乱の鎮圧のためにパリ市内で人員殺傷用の散弾を装填した大砲を使用し、多大な戦果を上げた。
逸話
ガリレオ・ガリレイは、大砲の弾道学を研究した。
世界最初のコンピュータのひとつであるENIACは火砲の弾道計算の目的で製作された。
楽器として用いられることもある。よく知られているものはチャイコフスキー作曲の「序曲1812年」だが、それ以前にベートーヴェンの「ウェリントンの勝利」にも使われている。どちらの曲にも、楽譜上に“Canon”等のように楽器指定されている。
陸上自衛隊の音楽隊が、観閲式などで「序曲1812年」を演奏する際、実際に大砲(空砲)を使用する。ただ、現代の高性能火薬を用いた火砲の甲高い発射音であるため、19世紀初頭の黒色火薬を用いた火砲の低音とは異なるとされる。
幕末に高島秋帆が徳丸ヶ原(現高島平)で日本最初の近代砲術訓練を行った。
19世紀の初めまで、榴弾を遠距離投擲する実用的な手段は、往々筒内爆発に耐えるだけの肉厚をもった臼砲かロケットかあるいはトレビュシェットのような投石機しかなかった。
大砲を製造する技術・資材のない土地では、木砲を製作して利用することがあった。砲身を一つの丸木からくりぬくか、または複数の木材を組み立てて形成し、周囲を竹のたがやロープで幾重にも巻いて補強したものである。金属製の大砲と比べ使用できる発射薬の量も砲身命数も当然大きく劣る。砲身を英語で樽と同じ ⇒barrelと呼ぶのは、木砲作りに樽作りの技術を応用した名残といわれる。有名な話としては、日露戦争の際旅順の戦いにおいて日本軍は木砲を造り使用したという話も残っている(但し、製作したものは今日の分類においては迫撃砲に当たる)。
「弾丸(球)を遠くに運ぶ」というイメージから野球において頻繁に本塁打を打つ打者又は強打者のことを表す言葉としても用いられる。
関連項目
砲弾
砲兵
砲台
礼砲
午砲・午砲台
弾道
弾道学
榴弾砲
弾道ミサイル
射石砲
マスドライバー
アームストロング砲
超兵器
外部リンクウィキメディア・コモンズには、 ⇒大砲 に関連するマルチメディアがあります。
⇒大砲と装甲の研究
カテゴリ: 大砲
更新日時:2008年8月14日(木)17:34
取得日時:2008/08/18 23:27