石油を構成する化学物質は、分留によって分けられる。原油を精製すると灯油、LPG、ガソリン、軽油、重油、アスファルト、潤滑油などが製品として得られる。厳密に言うと、石油は水素と炭素だけから構成される炭化水素(鎖式と環式)を要素とし、不純物としてイオウ、窒素とバナジウム等微量金属を含む。
まず、分子量が最小の4種の炭化水素で、すべてガスである。
CH4 (メタン、 methane) ? 沸点 -107℃
C2H6 (エタン、 ethane) ? 沸点 -67℃
C3H8 (プロパン、 propane) ? 沸点 -43℃
C4H10 (ブタン、 butane) ? 沸点 -18℃
炭素数5 - 7の範囲の鎖状炭化水素は、完全に軽質で、蒸発しやすい透明な性質のナフサになる。ナフサの留分は溶媒、ドライクリーニングの溶剤あるいはその他の速乾性の製品に用いる。
C6H14からC12H26までの鎖状炭化水素は配合調整されガソリンに用いられる。炭素数10 - 15の範囲の炭化水素からケロシンが作られジェット燃料に用いられる。炭素数10?20の範囲からディーゼル燃料(軽油)と灯油が、そして船舶のエンジンに用いられる重油と続く。これらの石油製品は常温で液体である。
潤滑油と半固体の油脂(ワセリンを含む)は、炭素数16から炭素数20の範囲である。
炭素数20以上の鎖状炭化水素は固体であり、パラフィンワックスを皮切りに、タール、アスファルトの順である。
常圧蒸留留分の名称と沸点(℃)を示す:石油エーテル (petrol ether) :40 - 70℃ (溶媒用)軽ガソリン (light petrol) :60 - 100℃ (自動車燃料)重ガソリン (heavy petrol) :100 - 150℃ (自動車燃料)軽ケロシン (light kerosene) :120 - 150℃ (家庭用溶媒・燃料)ケロシン (kerosene):150 - 300℃ (ジェット燃料)ガス油 (gas oil):250 - 350℃ (ディーゼル燃料/軽油/灯油)潤滑油:> 300℃ (エンジン・オイル)残留分:タール、アスファルト、残余燃料
地下から湧く燃える水の存在は、古代から各地で知られていた。産地で燃料や照明に用いた例も多い。17世紀にルーマニア産の石油が灯油用に用いられており、品質の点で他の油より良いとされていた。しかし、大量生産はずっと後のことであった。
機械掘りの油井の出現が、石油生産の一大画期をなした。エドウィン・ドレークが1859年8月にペンシルベニア州タイタスビルの近くのオイル・クリークで採掘を始めたのが世界最初と言われる。しかし、別のところでもっと早くあったとする説もある。19世紀後半には、アメリカ合衆国、ルーマニア、ロシアのコーカサス地方が石油の産地であった。
1863年、ジョン・D・ロックフェラーがオハイオ州クリーブランドで石油精製業に乗り出し、1870年、スタンダード石油を設立した。
しかし、1879年に、エジソンが白熱電球を発明し、アルコールランプの需要は激減し、倒産の危機にあう。 そこへ、1876年にドイツのニコラウス・オットーがガソリンで動作する内燃機関(ガソリンエンジン)の発明を、ゴットリープ・ダイムラーが改良し、1885年にダイムラーによる特許が出される。 1885年、ドイツのカール・ベンツは、ダイムラーとは別にエンジンを改良。 運良く、次世代の石油需要(ガソリン)に転換できたのだった。
同社は、事業統合を重ね、1884年には、アメリカ合衆国全体の石油精製能力の77%、石油販売シェアは80-85%に達した。あまりに巨大化したスタンダード石油に対し、世論の反発が起き、1890年に成立したシャーマン反トラスト法により、同社は解体された。ただし、消滅したわけではなく、分割されただけである。スタンダード石油が前身となって、現在あるエクソンモービル、シェブロンなどの旧7大メジャーができた。
19世紀から20世紀半ばにかけて、生産だけでなく、消費側にも石油普及をうながす技術革新が続いた。内燃機関での利用である。19世紀末の自動車の商業実用化、20世紀初めの飛行機の発明は、ガソリンエンジンと切り離しては考えられない。船舶も重油を汽缶(ボイラー)の燃料にするようになった。
石油自体は珍しくないが、大量生産できる油田は少なく、発見が困難であったため、石油産地は地理的に偏った。戦車、軍用機、軍艦などの燃料でもあったことから、20世紀半ばから後半にかけて、石油は死活的な戦略資源となった。
20世紀前半には、ベネズエラやインドネシアが石油の輸出地に加わった。
第二次大戦後、石油の新たな用途として、既に戦前に登場した化学繊維やプラスチックが、あらゆる工業製品の素材として利用されるようになった。また、発電所の燃料としても石油が利用された。
戦後しばらくして、中東に大規模な油田が発見された。中東は優れた油田が多いだけでなく、人口が少なく現地消費量が限られているため、今日まで世界最大の石油輸出地域となっている。
石油の探査には莫大な経費と高い技術が必要となるが、成功時の見返りもまた莫大である。必然的に石油産業では企業の巨大化が進んだ。独自に採掘する技術と資本を持たない国では、巨大資本を持った欧米の少数の石油会社に独占採掘権を売り渡した。これによって石油開発の集中化はさらに進み、石油メジャーと言われる巨大な多国籍企業が誕生した。