相模国は全国で唯一、国府所在地がいまだに特定されていない国である。国府の候補は四箇所ある。
和名類聚抄および拾芥抄では、大住郡とある、現在の平塚市で関連の遺跡が発掘された。伊呂波字類抄では、国府は余綾郡とする、現在の大磯町と推定される。
この二箇所のほかに、国分寺があった海老名市付近に初期の国府があったとする説、現在の小田原市にある千代廃寺を初期の国分寺とみなしその付近に初期の国府があったとする説もある。
国分寺・一宮など海老名中央公園に作られた国分寺の七重の塔(三分の一の大きさで復元)
国分寺は海老名市国分にあった。その法燈を海老名市国分の東光山医王院国分寺(本尊:薬師如来)が伝承する。国分尼寺は未詳である。安国寺は鎌倉市山之内に存在したといわれるが廃寺である。利生塔は未詳である。
延喜式神名帳には下記の大社1座1社・小社12座12社の計13座13社が記載されている。
足上郡 寒田神社(足柄上郡松田町松田惣領)小社
餘綾郡 川勾神社(中郡二宮町山西)小社
大住郡 前鳥神社(平塚市四宮神戸)小社
大住郡 高部屋神社(論社以下の2社)小社
高部屋神社(伊勢原市下糟屋)
高森神社(伊勢原市高森)
大住郡 比比多神社(伊勢原市三ノ宮。伊勢原市上粕谷子易にも同名の論社あり)小社
大住郡 阿夫利神社(現 大山阿夫利神社、伊勢原市大山)小社
愛甲郡 小野神社(厚木市小野)小社
高座郡 大庭神社(論社以下の2社)小社
大庭神社(藤沢市稲荷)
熊野神社(藤沢市大庭)
高座郡 深見神社(大和市深見)小社
高座郡 宇都母知神社(藤沢市打戻)小社
高座郡 寒川神社(高座郡寒川町宮山)名神大社
高座郡 有鹿神社(海老名市上郷)小社
高座郡 石楯尾神社(論社多数)小社
一宮は寒川神社である。鎌倉時代に鶴岡八幡宮(鎌倉市雪ノ下)が創建され、一宮と同格の扱いを受けたが、これは当時の将軍である源氏の氏神を京都の石清水八幡宮から勧請した宮であるために鎌倉幕府が特別扱いしていたものと考えられ、延喜式の昔から現代に至るまで『相模國一之宮』といえば寒川神社とする認識が自然である。現在では両社とも全国一の宮会に加盟している。
二宮は川勾神社、三宮は比々多神社、四宮は前鳥神社である。また、一宮から四宮までの4社と共に国司巡拝の神社で「一国一社の八幡宮」として平塚八幡宮(平塚市浅間町)があるが、平塚八幡宮は四宮以上の4社と違って式内社ではない。平塚八幡宮を「五宮」と呼ぶことはなく、神社側も五宮とは名乗っていないが、5月5日の国府祭(こうのまち)では、一宮から四宮と平塚八幡宮の五社が神揃山(かみそろいやま)に集まる神事があることから、五宮格と考えられる。
総社は六所神社(中郡大磯町国府本郷)で、前述の寒川神社から平塚八幡宮までの5社の分霊が併せ祀られている。
鎌倉幕府
?〜1194年 - 三浦義澄
1209年〜? - 三浦義村
?〜1247年 - 三浦泰村
1247年〜1333年 - 不設置(侍所・政所管掌?)
室町幕府
1351年〜1352年 - 三浦高通
1353年〜1363年 - 河越直重
1364年〜1367年 - 三浦高通
1377年〜1402年 - 三浦高連
1429年〜? - 三浦時高
1448年〜? - 上杉持朝
1449年〜1455年 - 上杉顕房
1485年〜1488年 - 上杉定正
1510年〜? - 上杉憲房
?〜1516年 - 三浦義同
※日付=旧暦※在任期間中、「 」内は、史書で在任が確認できる最後の年月日を指す。
秦井出乙麻呂(743年<天平15>6月30日〜)外従五位下
葛井諸会(747年<天平19>4月21日〜)外従五位下
藤原宿奈麻呂(752年<天平勝宝4>11月3日〜)従五位下
石上宅嗣(757年<天平宝字元>6月16日〜)従五位上
紀伊保(761年<天平宝字5>5月9日〜)従五位下
粟田人成(764年<天平宝字8>1月21日〜)従五位上
牡鹿嶋足(764年<天平宝字8>10月20日〜)従四位下 授刀少将
和気麻呂(795年<延暦14>2月〜)従四位下
菅野真道(801年<延暦20>閏元日〜803年<延暦22>1月)正四位下
藤原園人(803年<延暦22>1月7日〜)従四位上
紀田上(806年<大同元>〜「808年<大同3>」)正五位下
多入鹿(810年<大同5>1月10日〜810年<大同5>9月10日)従四位下
直世王(810年<大同5>9月10日〜「814年<弘仁5>9月17日」)従五位下→従五位上
春原五百枝(816年<弘仁7>1月10日〜「819年<弘仁10>3月1日)」従三位参議
紀百継(818年<弘仁9>1月10日〜)従四位下
路年継(819年<弘仁10>〜822年<弘仁13>)正五位下
藤原友人( 〜822年<弘仁13>8月16日)従四位下
大伴国造(826年<天長3>1月21日〜826年<大同5>3月3日)従四位上