皇位の継承について日本国憲法第2条で「皇位は、世襲のものであつて、國會の議決した皇室典範の定めるところにより、これを繼承する。」とあり、皇室典範第一章に皇位継承順位及び即位について、第四章に即位の礼について規定されている。皇室典範第1条では「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。」と記されている。
皇位継承の儀式については、登極令(明治42年皇室令第1号)の廃止に伴い法律上の規定が存在しない。また皇室典範には即位の礼を行う定めがあるにも拘らず、内容についての具体的な規定はされていない。そのため、昭和天皇崩御に伴う皇太子明仁親王の皇位継承儀式、及び即位の礼は、廃止された旧登極令及び同附式を踏襲する形で執り行われている。
以下の皇位継承儀式は、皇太子明仁親王(今上天皇)の皇位継承に際するものである。
剣璽等承継の儀とは、旧登極令(明治42年皇室令第1号)附式の、第一編 践祚ノ式にある剣璽渡御ノ儀(けんじとぎょのぎ)にあたる国事行為たる儀式である。剣とは天叢雲剣を指し、璽は八尺瓊勾玉を示している。
これは皇位の証として伝わる三種の神器のうち、剣と璽を大行天皇(前天皇)から承継するもので、剣については宮中にある天叢雲剣の複製品を用い、神璽は本物とされる八尺瓊勾玉を用いる。同時に国璽と御璽の承継も行われる。
1989年(昭和64年)1月7日、昭和天皇崩御に際しては天皇崩御直後、皇居正殿松の間で執り行われた。国民代表として内閣総理大臣、最高裁判所長官、衆議院参議院両院議長の行政司法立法の三権の長、全閣僚などが参列した。新天皇は宮内庁長官らに先導され皇族を従え松の間に臨場し、参列者に向合う形で正面の席に着き、剣・璽及び国璽・御璽を侍従が新天皇の前にある机に置く短い儀式が行われた。
皇霊殿神殿に奉告の儀とは、先祖代々の皇霊を奉る皇霊殿、及び天神地祇を奉る神殿において、新天皇の即位を奉告する儀式である。掌典長により宮中三殿で、剣璽等承継の儀が執り行われていた頃に執り行われた。
賢所(けんしょ・かしこどころ)に御神体として奉られている神器、八咫鏡の承継儀式である。1989年(平成元年)1月9日、昭和天皇崩御から2日後に掌典長により宮中三殿で執り行われた。八咫鏡は宮中に鎮座している複製品である。
この儀式によって、皇位の証である三種の神器を継承した天皇は正統な皇位継承者となる。なお、過去に継承の儀を執り行うことが出来なかったため、正統な皇位継承者にはなりえなかった天皇が存在する(南北朝分裂期の北朝の天皇など)。
新天皇が初めて首相らに言葉を述べる国事行為たる儀式である。1989年(平成元年)1月9日に皇居正殿松の間で365人の参列者のもと執り行われた。
1年の諒闇、喪も明けて最初の新嘗祭(にいなめさい)たる大嘗祭(だいじょうさい)が即位の翌年に執り行われる。11月卯の日(4番目の日)に4日間に渡って執り行われ、皇位継承に伴う儀式はこれをもって最後とする。1990年(平成2年)11月23日に大嘗宮の儀が執り行われた。
なお、継承された神器(天叢雲剣及び八咫鏡)は複製品であるので、時機を見て本物が奉られている伊勢神宮と熱田神宮へ即位奉告を行うことになる[要出典]。特に皇祖神である天照大神の奉られている伊勢神宮への奉告は早期に執り行われる事になる[要出典]。
日本では古代から皇位継承(王位継承)に関する問題が生じていた。弥生時代後期の2世紀後半、倭国王位の継承をめぐって倭国大乱が起こり、卑弥呼が倭国王となることで争乱が終息した。また卑弥呼の没後、男王が立ったが再度争乱が起こり、卑弥呼の宗女台与が王位について争乱は収まった。
古墳時代の5世紀にも王位継承をめぐる数々の紛争の発生が、日本書紀の記載から読みとれる。6世紀前半には武烈天皇の死により一旦、倭国王統が断絶しているが、応神天皇の5世の子孫とされる継体天皇が皇位継承した。実際に5世の子孫だったかには賛否両論あるが、この事例は5世の子孫までは皇位継承権を持ちうる先例となって、その後の皇位断絶に強く意識されることとなった。
古墳時代から飛鳥時代にかけて(6世紀中期?7世紀後期)も、皇位継承の紛争がたびたび生じた。この頃の皇位継承のルールには、兄弟承継、大兄承継、群臣推挙、先帝遺詔(更に近年では即位要件に年齢制限(30歳以上)があったとする説もある)などがあり、これらが複雑にからんで皇位継承が行われていたと推定されている。継体天皇の後に安閑天皇・宣化天皇が数年間在位して欽明天皇が皇位承継しているが、欽明による皇位簒奪だったとする説もある。その後、欽明の子孫が皇位継承しているが、その経緯は複雑であり、多くの皇位継承紛争が生じている。皇位継承者の決定が難航したときは、女性天皇が選ばれることもあり、推古天皇、皇極天皇が即位して、他に適当な男子の皇位承継者が現れるまで皇位についた(女帝が選ばれた理由には諸説あり、律令制以前の中継ぎ説を認めないなどの異説が多く存在する)。
古代の皇位継承において、最大の争いとなったのは、672年の壬申の乱である。