日本では、減反政策や宅地化により、水田の面積は減少傾向にある。
現存する日本最古の文字は、三重県嬉野町(現在は松阪市)貝蔵遺跡で出土した2世紀末の土器に墨書されていた「田」であるとされている。
日本では、田がある地域、田があった地域には、地名に「田」が付いていることが多く、またその呼び名からはその場所の地形や開墾の歴史などが容易に推察されるものが少なくない。
田の場所にちなんだもの- 東田、西田
開墾の歴史などから- 新田
神社の祭式用などの目的から - 神田
その田の収穫実績などの評価から - 千代田
実際には、農業用の田ではないものの、池、湖沼をそれにたとえるもの- 八甲田
同様に、日本人の苗字に「田」が付いているものが多い。
また、「男」という字は、説文解字によると、田と力から成り立っており、「男は力を田に用いる」からだとされている(ただし、甲骨文の男は、田と耒(すき)から成っており、力は耒が変形したものである。甲骨文の時代、「男」は農地の管理者を意味していた)。
日本においては生産の基盤が水田であったことから、ものを生み出す元を「田」ということがある。代表的なものに票田、油田、塩田等がある。塩田の場合、広く水たまりを作るのが水田に似ている点もある。
田が発祥した中国では、田の神の祭事が行われていたが、早い時期に失われ、今に伝わっていない。
日本では、弥生時代に農耕が伝わったとき、農耕収穫あるいは田に対する信仰が生まれたとされている。各地の神社で執り行われる秋の例祭(いわゆる秋祭り)は、田からの収穫を祭る名残であろうと考えられる。平安時代中期には、田植えの前に豊作を祈る「田遊び」から田楽という芸能がおこり、その後、猿楽や能楽などの諸芸能へと発展していった。
田からもたらされる豊作を祈願する神社としては、愛知県小牧市の田県神社(たがたじんじゃ)が、その豊年祭という奇祭で知られている。
豊穣豊作を祈願する田の神は、国内では地方ごとにさまざまな呼び名と祭り方がある。農神と呼んだり、山の神、土地の神、あるいは水神様と同一視する場合もある。
農作業を行なうと病気になる、災害が起きるなどの凶事が起きるとされる田を病田(やみだ、やまいだ)と呼び、日本各地にそうした田の伝承がある。病田では災いを鎮めるために石碑を建てたり、寺の住職による読経などで供養が行なわれている[1]。
環境としての「田」ネパールの千枚田。治水効果が高い。生態系の一環を担う水田(田植え前)
水田耕作は、日本各地の主要な農地の形態であり、多くの地域で大きな面積を占めていた。春から夏にかけての雨の多い時期に、これだけの広さの水溜を持っていたことになる。雨は直接に川に流れ込む前に、水田を通過することで大量集中することを免れ、治水効果は大きいものと言われる。
また、水田は多様な生物の生息環境であった。浅くて富栄養な、生産力の高い水域が広がっていたことで、カエル、ドジョウ、タニシなどの生息個体数は莫大なものであった。それがコウノトリ、トキ、タンチョウなどの鳥類やタガメのような大型肉食昆虫の生息を維持する基盤となっていた。それ以外にも、水田は小型動物が多数生息し、その中には水田にのみ見られるような種も多かった。たとえば、ホウネンエビやカブトエビがそれで、これらは冬季には水がなくなるという特殊な水域である水田で、その期間を耐久卵で過ごすことでそれに適応したものである。また、同地域の他の水域、たとえば川や湿地や池では見られない水草が、水田には多数生息しており、水田雑草と呼ばれる。
水田にはそれらを合わせた独特の生物群集があった。水田土壌中の微生物も、土壌の有機物の流れに深く関わり、これらが水田という生産システムそのものの一側面ですらある。しかし、第二次大戦後の様々な変化の中で、水田の環境は劇的に変わった。コウノトリ・トキはほぼ絶滅、タガメ・ゲンゴロウ・ガムシ・タニシは見ることができなくなり、特有の水田雑草の中からも何種もが絶滅危惧種に指定される有様である。
脚注^ ⇒今に伝わる「病田」の怪 甲斐市玉川 田之神様 ( ⇒株式会社新聞センター内)
関連項目
稲
稲作
米
農地
灌漑
水口
水車小屋
畑
かかし
油田
ガス田
塩田
田下駄
田船
メダカ
ゲンゴロウ
タガメ
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