面積は6.39km2(639ha)。
東京都の市では最も小さく、全国では蕨市、鳩ヶ谷市に次いで3番目に小さい。
狛江市と全国の年齢別人口分布図(比較)狛江市の年齢・男女別人口分布図
■紫色は狛江市
■緑色は日本全国■青色は男性
■赤色は女性
1980年70,836人
1985年73,784人
1990年74,189人
1995年74,656人
2000年75,711人
2005年78,319人
総務省統計局 / 国勢調査(2005年)
推移
郊外の農村であった1930年代までは3?4千人程度であったが、太平洋戦争が始まると9千人程度に増えた。高度成長期の1960?1970年代には急激な増加を見せ、一気に都市化が進んだ。この時期に市立小中学校が続々と開校した。
人口の推移
1万 - 1949年
2万 - 1960
3万 - 1964
4万 - 1967
5万 - 1969
6万 - 1972
7万 - 1984
※その人口を突破した年を表す
人口密度は都内の市区町村の中では17?19位(時期により変動がある)、多摩地区では武蔵野市に次ぐ2位となる。東京特別区を1つの市と考えた場合は、全国の自治体で4位となる。
人口密度の順位
蕨市 - 13,858人/km2
東京特別区 - 13,196人/km2
武蔵野市 - 12,305人/km2
狛江市 - 12,159人/km2
守口市 - 11,753人/km2
データは蕨、武蔵野は2004年9月、狛江、守口は2004年10月、23区は2004年3月のもの。
人口密度の項にも順位が掲載されている。数値は異なるが(年次不明)、順位は同じである。
古代の武蔵国多磨郡狛江郷の地であり、5世紀の高句麗系古墳である狛江亀塚古墳がある。関東の古墳時代中期(5世紀頃)の標式遺跡和泉遺跡の所在地としても知られる。
年表
1889年 - 町村制が布かれ狛江村となる。
1893年 - 神奈川県より東京府に編入される。
1926年 - 小田急小田原線が開通。
1952年11月10日 - 町制施行。狛江町となる。
1970年10月1日 - 市制施行。狛江市となる。
1974年9月1日 - 豪雨による多摩川上流域ダム放水のため、堤防決壊。
1989年7月 - 喜多見駅?和泉多摩川駅間の複々線立体交差の工事着工。
1996年6月 - 石井三雄市長がバカラ賭博で巨額の負債を抱え、市長を辞職。
1996年7月 - 共産党員の矢野裕氏が市長が初当選、現在に至る。
1997年6月 - 小田急線の狛江市内の立体交差化の工事終了。
市のシンボル
市章
狛江の「こ」をかたどったもの。中央部は多摩川の流れを表している。市制施行と同時に制定された。
市の花
ツツジ ? 市内の公園や街路に植えられている。
市の木
イチョウ ? 東京都のシンボルマークにも採用されている。市内では三中や狛江高校などで見られる。狛江高校の文化祭は「公孫樹祭(こうそんじゅさい)」と称するが「公孫樹」とはイチョウのことである。
自治体交流
新潟県北魚沼郡川口町1987年7月25日に「ふるさと友好都市」となる。市民まつりでは川口町のブースが設けられる。1988年には災害援助協定を締結。2004年10月に発生した新潟県中越地震では本市から援助が行われた。
八丈町 - 商工会女性部が交流。同じく市民まつりに参加する。
山梨県小菅村 - 多摩川の源流にあり、いかだレースを期に交流が始まる。
福島県田島町 - 商工会が交流。市民まつりに参加する。
歴代市長
2008年 矢野裕
2004年 矢野裕
2000年 矢野裕
1996年 矢野裕
1992年 石井三雄
1988年 石井三雄
1984年 石井三雄
1980年 吉岡金四郎
1976年 吉岡金四郎
1972年 吉岡金四郎
年は選挙のあった年。
定数は23人。直近の選挙は2003年4月27日に行われた。
会派
(与党)日本共産党 - 6名
日本共産党は矢野裕市長当選後も議席が4議席で議席占有率が25%を下回っていたために、明政クラブや公明党から市長不信任決議案が可決される可能性があったが、99年の市議選で6議席を獲得し、議席占有率が25%を超え、その可能性はなくなった。2003年、2007年の市議選でも共産党は6議席を確保した。
(野党)明政クラブ - 8名
明政クラブは実質的に市議会自民党である。選挙時は7名が無所属、1人が自民から立候補した。
(野党)公明党 - 4名
(野党)生活者ネット - 2名
(野党)民主党・市民自治 - 3名
「民主党・市民自治」は、2003年4月市議選直後の時点では、民主党1名、自由党1名、市民自治こまえ1名で、市議会では会派を構成せず、市議会会派上は「無所属」となっていた。自由党が民主党に合流したのに加え、2005年5月より、民主党2名、市民自治こまえ1名の3名で、会派「民主党・市民自治」を結成した。これにともない、市民自治こまえは正式に矢野市長与党から離脱した。