ひと口に無宗教と言っても、上記のようにその内情は様々であり、これらの曖昧さから様々な批判や揶揄、誤解を受けているのが実情である。たとえば無神論と混同・同一視されるとか、無宗教者でも神や霊魂などの霊的な存在は信じており、これらを否定しない、といった具合である。確かに無神論者は無宗教には違いないが、無宗教者の全てが無神論者ではない。また神や霊魂を否定はせずとも、これらに対する信仰や確信を持たない者たちもまた、無宗教者である。
また「無宗教の葬儀」や「無宗教の慰霊祭」は矛盾しているとする主張もあるが、一方でそれらを社会的・文化的な儀式や行事として捉える価値観もあり、一定の説得力を持つ。
「無神論者の中にも宗教を信じている者もいる。彼らはいわば「神はいない」という考えの宗教を信じているのだ」といった論調も、無宗教者に対する批判としては定番の一つとして挙げることができる。これらの“無宗教者も所詮は「無宗教教」の信者に過ぎない”、“神や宗教の代わりに科学(や科学のようなもの)を信じる「科学教」に過ぎない”といった批判である。
日本には無宗教的な考えを持つ人が多いといわれているものの、日本人には折に触れて神社や寺に足を運ぶ人が多数存在するため、その様な参拝を行う時点で一時的にせよ神道ないし仏教の信者であるともいえ、「宗教を信じない」という考えとは矛盾するとする主張もある。この点でいえば無宗教ではなく「無信仰」という呼び方もできる。
正月や七五三は神社でお参りをし、お葬式や法事、お盆は寺でお経を唱えるという流れが出来ていた。そこに加えて、戦後になってからはクリスマスやバレンタイン、ハロウィンなどのキリスト教のイベントもそのまま取り入れることが多くなっている。ただし、キリスト教の行事が完全に世俗化されているのに対し、仏教や神道由来の行事はいまだ一定の宗教性を有している点が大きな違いである。
また結婚式でも神社か教会で挙げるのに実際は仏教の信者という人も多い。
一方で、神社や仏閣などの祭祀施設や関連施設を文化財として捉え、帰依することなく文化の一環として親しむといった思想や価値観もあり、これらを許容できない宗教者側の不寛容な態度こそが問題であるとする見解や、宗教関係の場に足を踏み入れたからといって特定の宗教を信仰しているとみなすのは宗教者側の解釈に過ぎないという意見、これらの批判の主張者たちが信仰する教義や戒律によって異教徒や無宗教者への教化や攻撃を要求されているのであれば、責められるべきはそれらの教義や戒律の反社会性・非合理性であるといった批判もある。
イスラム諸国では、他の宗教にも寛容な穏健派の間であっても無宗教者=愚か者という考えが存在しているという主張もある。現地の人は宗教の話が好きな人も多いため、日本人旅行者が会話中に宗教を尋ねられることがある。しかしその際にうかつに『無宗教だ』と答えると、あらぬ誤解を招くことがあり、例えば特定の宗教を持たない場合には(広義の)仏教徒である(仏教哲学を学んでいる)といった回答が無難との見解がある。こうした見解を持つ人がいるのは、日本などと違い、イスラム圏にとって宗教は国家運営の基幹をなす存在であり、信仰を持たないという考えが感覚的に理解しにくいからという主張もある。しかしこれはイスラームへの偏見に基づく誤解であるという主張もあり、真偽は定かではない。
外部リンク
⇒図解▽世界各国の宗教
カテゴリ: 宗教
更新日時:2008年10月7日(火)14:13
取得日時:2008/10/13 10:46