火薬
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花火

花火は、正に「火の芸術品」である。火薬に炭酸ストロンチウム(紅色)や硫酸銅(青色)などを混ぜることで炎色反応により、様々な色で発光する。


工業用途

金属容器などを作るとき、水中に爆薬を入れて爆発させて金型に押し付けるという方法がある。 また、通常溶接できない2種類の金属を、爆薬の力で溶接させる爆発圧接もある。


発電

瞬間的な大電力を得る方法として爆薬発電機が開発されている。


照明・信号用

兵器における照明弾、信号弾などで使用され、強い光を発生させる、特殊火薬。黒色火薬にアルミニウム微粉末を適当量(科学的な値に基付く)混合させ、燃焼することによって、強力な光を出すことが出来る。

また、粉末単体では写真などのストロボ撮影の光源としても用いられた。

身近なところでは、車載されている発煙筒などがある。


エンジンの起動用

ジェット戦闘機などの一部の航空機ではエンジンの初期起動に外部からの力が必要な物がある。この際、エンジンを起動させるための地上設備が無い場合の応急的な起動用に用いられる。


医薬品

ダイナマイトの原料である、ニトログリセリンなどは心臓の薬として用いられる。


歴史1281年弘安の役における「てつはう」を描いた『蒙古襲来絵詞』

中国代(618年 - 907年)に書かれた「真元妙道要路」には硝石硫黄・炭を混ぜると燃焼爆発を起こしやすいことが記述されており、既にこの頃には黒色火薬が発明されていた可能性がある。

日本人が初めて火薬を用いた兵器に遭遇したのは13世紀後半の元寇においてである。当時の様子を描いた『蒙古襲来絵詞』(竹崎季長 永仁元年2月9日1293年和暦は改元前のため実際は正応6年か。)の写本の図には、軍が用いた「てつはう」と呼ばれる兵器が描かれている。(なお、佐藤鉄太郎 『蒙古襲来絵詞と竹崎季長の研究』(2005年)によればこの「てつはう」(とモンゴル兵)は江戸時代の加筆であるとする。)「てつはう」は鉄球に火薬をつめた炸裂弾で、強力なの先端につけて発射された。

ヨーロッパで初めて火薬を製造したのは13世紀イギリススコラ学者であるロジャー・ベーコンとされていたが、その火薬の製法の写本偽書とされており現在は疑問視されている。 また、ドイツではベルトルド・シュバルツなる人物が火薬を発明したとされているが、これも伝説のようである。

14世紀には、イングランドやドイツに火薬工場があったとの史実が残されている。エリザベス1世1558年 - 1603年)の時代、火薬製造はイングランド王室の専売事業であった。

19世紀までは火薬といえば黒色火薬のことを指したが、1886年フランス人科学者ポール・ヴィエイユ(Paul Vieille)が無煙火薬を発明すると、火薬の主流は黒色火薬から無煙火薬へと急速に移り変わっていく。ヴィエイユの発明した火薬はニトロセルロースエーテルアルコールの混合液でゼラチン化したものである。当時の陸軍大臣ブーランジェ将軍の頭文字からB火薬と命名された。

ノーベル賞で有名なアルフレッド・ノーベルは火薬王としても知られている。高性能爆薬であるダイナマイトをはじめ、無煙火薬のバリスタイトなどを発明し、大量生産を行った。


日本における火薬

1543年種子島に漂着したポルトガル人が、 東南アジアで改良された、今日マラッカ式火縄銃と呼ばれる形式の鉄砲と共に、日本に火薬を伝えた。

当時の火薬は黒色火薬であるが、原料の硝石硝酸カリウム)は湿潤気候の日本国内では天然に産出しないため、南蛮貿易で硝石を輸入し、火薬を製造していた。

当時の日本は高い鉄の精錬技術と鍛鉄技術を有しており、鉄砲製造は急速に普及し、大量生産が行われた。 1575年長篠の戦いでは、織田信長が大量の鉄砲を用いることで武田勝頼に大勝している(この頃、武器として銃を大量に所持していた国は日本だった) 。中国地方の口伝では門徒の間で蓬(ヨモギ)の根に尿をかけたものを一定の温度で保存することにより、ヨモギ特有の根球細菌のはたらきで硝酸が生成されることを発見したという。馬の尿とヨモギでそれは量産(当時にしては)された。これらは当時の軍事機密であったので厳重に守秘されて一般に広まることはなかったが、本願寺派に供給された火薬の主体であったようである。信長が驚いた本願寺の鉄砲の数は、実は弾薬の量に支配されるものであり、安価な硝酸がそれを支えたのである。

江戸時代に入り鎖国がなされると、国内で硝石を供給せざるを得なくなる。軍事用の火薬使用は激減したが、狩猟用として鉄砲が農山村に普及したため、一定の火薬の需要が存在したのである。汲み取り便所の壁から床下の土中に染み出した窒素に富む尿などから生じたアンモニアに亜硝酸細菌と硝酸細菌が作用するため、古い民家の床下の土壌には硝酸カリウムが蓄積している。これを原料とすることで硝石を生産した。床下土を用いた硝石の製造は江戸時代を通じて主流の方法であったが、同様に床下で硝石を生成する東南アジアの伝統的手法と異なり、豚などの家畜を大規模に飼育しない日本の民家では硝石の生成量が少なく、一度掘り出してしまうと20?30年間は採集できなかった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki