市の人口は約737万人(2003年末)で、中国でも4番目に大きな都市である。市区人口488万人。
市の総面積は13,000平方キロメートル、市区面積3,495平方キロメートル。
瀋陽の歴史は大変古く、7200年前には定住集落(新楽遺跡)があったことが知られている。
その後はしばらく地域の地方都市的な位置にあったが、17世紀初頭、サルフの戦いに勝利した満州族のヌルハチは瀋陽を占領して後金の首都とした。1634年には盛京(満州語ムクデン)と改称されている。その後清と名を改めた後金は1644年に明の滅亡後の中国を占領し、首都を北京に変更するが、瀋陽は副都扱いを受け、1657年には奉天府と名付けられて多分に形式的ながら中央政府に準拠した官制がしかれた。現在でも市内にはその時の皇居・瀋陽故宮が残っている。
19世紀後半以降、それまで漢民族の移動を認めなかった満州(現在の中国東北部)が、ロシア帝国の南下政策により方針を改められて急激に開発されるようになると、瀋陽は地域の中心としての役割を担い、東北三省を束ねる政庁も設置された。都市としての瀋陽が大きく膨張したのもこの時期である。日露戦争中の1905年には、当時では史上最大規模の野戦である奉天会戦が行われた。1912年の清朝滅亡後は張作霖や張学良らの奉天軍閥の拠点となり、1923年奉天市政公所が設置されて市政が施行され、1929年張学良によって瀋陽市と改称されたが、駅を中心とする市街地の大半は南満州鉄道の付属地とされ、日本が行政権や警察権を把握していた。1931年満州事変によって日本の関東軍に占領されると、その名を奉天に戻し、1945年の日本の敗戦後には瀋陽に復した。
瀋陽市は地級市(地区クラスの市)として9市区、1県級市、3県を管轄する。
市区: 瀋河区、皇姑区、和平区、大東区、鉄西区、蘇家屯区、東陵区、瀋北新区、于洪区
県級市: 新民市
県: 法庫県、遼中県、康平県
中国人民解放軍の七大軍区の一である瀋陽軍区司令部所在地である。瀋陽軍区は人民解放軍軍区のなかでも独立性が高いといわれる。
瀋陽の交通はとても発達していて、市の東南にある東北地方最大の国際空港・瀋陽桃仙国際空港(市内までバスで40〜50分)は香港を含め国内には30以上の定期便があり、国外には北朝鮮の平壌、韓国の仁川、釜山、日本の成田、大阪、名古屋、札幌、福岡さらにはロシアのイルクーツクへ直行便が飛んでいる。ヨーロッパ及びアメリカ各地へは、北京や上海を経由して飛んでいる。
また、高速道路も発達していて、省内では丹東、撫順、大連、全国的には北京、ハルピンへの高速道路が瀋陽から放射状に伸びている。
鉄道は、市街地北部にある東北地方最大の駅・瀋陽北駅にはハルピン、北京、大連などへと向かう東北地方の主要幹線鉄道5本すべてが経由する。
工業が盛んであり、市の郊外には多くの重化学工場が立ち並んでいる。瀋陽市内のみならずその近隣都市圏は撫順の石炭・鞍山の鉄鉱石、やや遠いながら黒竜江省大慶の油田などの豊富な資源を生かした一大コンビナートであり、20世紀後半の中国を工業面で支えた。しかし近年外資を導入した長江デルタや珠江デルタ地域の経済発展に比べ、瀋陽を始めとする東北地方は取り残された感が否めない。このため中国政府は東北振興を旗印に東北開発を重点的に支援しており、瀋陽も近代都市に変貌しつつある。2003年の全市生産総額(GDP)は1,602億人民元で、全省の4分の1を占める。
外務省は瀋陽市和平区に総領事館を設置し、北海道札幌市と神奈川県川崎市が瀋陽と友好都市提携している。瀋陽市は対日ソフトウェア開発基地を開設し、日本企業のソフトウェア開発受注を進める。
観光夜の中山広場と遼寧賓館(旧奉天ヤマトホテル)
最近は外国人観光客、それも韓国人観光客が多い。距離の近さもさることながら、韓国と中国東北部の経済的なつながりの深さも大きな理由であろう。また、観光スポットはとしては清代の史跡が多く残り、華南の華やかさと対比してまことに質実剛健な華北・東北部の文化を見ることができる。また、20世紀前半の張作霖時代・満州国時代の欧風を取り入れた建築物も市街地のあちらこちらにその姿をとどめている。
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