濱野淳_(オートレース選手)
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怪物くん

デビュー当時から才能を感じさせる走りでファンを魅了していたが、1998年日本選手権オートレース優勝戦において、優勝した当時最強の高橋貢をただ1人力強い走りで追い上げ準優勝。山陽の怪物くんと呼ばれ全国的に注目を浴びる。

2001年にはSG初制覇。以降も通算3回のSGを獲得し、同期の伊藤信夫と並び24期の中心的選手である。オープン戦でのスタート力と力強い捌きはまさに怪物くんの名に相応しいものである。特に、2002年に開催されたSG第34回日本選手権オートレースでは、優勝しなければスーパースター王座決定戦には出場できないという逆境の中、試走タイム3.23を叩き出した池田政和(23期、船橋オートレース場所属)を最終周回で差し返し、近年稀に見る名勝負を制して優勝を飾った。


謹慎事件

2003年のGIムーンライトチャンピオンカップ優勝後、ある事件が発生した。最終日当日、濱野の同期である石田智之(浜松オートレース場所属)が第1レースに出走した後、第10レース終了後に参加解除の手続きを受けた。しかし、同期のM野が決勝戦に出場する予定であったため、参加受付の際に預けていた携帯電話を受取った後も管理地区内に居残り、モニターで観戦していた。この段階までならば、単に石田の不注意で済まされる問題であった。しかし、問題はこの後に発生する。

決勝戦が終了したのを確認した石田はロッカー内のテレビモニターから離れ、ウィニングランをするために競走路退場口近くに待機していたM野の傍に他の同僚選手らとともに駆け寄った。そして、濱野が装着していたヘルメットを受け取るなどの介添えをすると共に、祝福の言葉を掛けていた。
その際、石田が所持していた携帯電話にM野の先輩選手(山陽オートレース場所属。この開催には非斡旋)からの電話の着信があった。この時石田は自己の携帯電話を使用して通話したのち、あろうことか、その携帯電話を濱野に手渡したのである。この開催を3連覇したこともあり、濱野は精神的に高揚していた。そんな状況の中で目の前の石田が突然携帯電話を差し出してきたので、つい反射的に携帯電話を受け取り耳に当ててしまったのである。ただ、その時は通信状態が悪く既に電話は切れていたために、通話自体はしなかった。

言うまでもなく、公営競技において開催期間中に選手や関係者が外部と連絡を取り合うことは最大のタブーである。しかも、この模様がCS中継で流れてしまったため、騒ぎは一気に広がった。日本小型自動車振興会は翌日付で濱野・石田両選手に対して斡旋保留の暫定処分を下した。

およそ一ヶ月後、日本小型自動車振興会は、濱野・石田両選手の行為は「小型自動車競走に関する業務の方法に関する規程」の「公正かつ安全な競走を行うに不適当と認められる理由があるとき」に該当すると断定し、2003年10月8日付で、両選手に対して斡旋停止処分(濱野については一ヶ月間、石田については半年間)を行った。なお、特別オートレース等出場選手選考基準に基づき、斡旋の停止を受けた選手は、その停止期間の満了後1年を経過するまでの期間は、特別オートレース等の出場選手の選考の対象から除外される。従って、濱野は向こう一年、SG競走に出走する権利自体を剥奪されたのである。
選手として最も輝き始めた時期の謹慎で、その後は急激に低迷が進んでしまった。3連覇を成し遂げたGIムーンライトチャンピオンカップも翌年は優勝できず、タイトルからは見放されている状態が続いている。


関連項目

オートレース選手一覧
カテゴリ: オートレース選手 | 福岡県出身の人物 | 1975年生

更新日時:2008年7月30日(水)15:41
取得日時:2008/10/07 02:03


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki