これらの思い切った断行が右翼からの反感を買い、昭和5年(1930年)11月14日、濱口は広島県福山市郊外で行われる陸軍の演習を視察する予定で、昭和天皇の行幸に付き添い(更にお国帰りも兼ねて)特急燕に乗車するために東京駅を訪れるが、第4ホーム(現在の東北新幹線改札付近)で愛国社社員の佐郷屋留雄(さごやとめお。21歳)に銃撃される。この時は、弾丸が骨盤を砕き、東大病院にて腸の30%を摘出したが、一命を取り留めた。翌・昭和6年(1931年)3月に、野党政友会鳩山一郎らの執拗な登院要求に押され、まだ傷の癒えない身で無理をして衆議院に登院、5ヵ月後に亡くなった。この間、臨時首相代理を幣原喜重郎にゆだねた。
ちなみに濱口の死因に関しては、後日濱口が特殊な細菌の保有者であり、その細菌が傷口に侵入して化膿した事による症状の悪化であると判明したため、狙撃犯・佐郷屋の裁判において被告が殺人罪にあたるのかそれとも殺人未遂罪にあたるのかで大いに紛糾した。審理の結果、狙撃と死亡との間の相当因果関係がないとして、殺人未遂罪が適用されたものの、昭和8年(1933年)の判決の内容は死刑であった(但し昭和9年(1934年)に恩赦で無期懲役に減刑され、昭和15年(1940年)11月に仮出所している。佐郷屋は第二次世界大戦後も右翼活動を続け、昭和47年(1972年)4月死去)。
家族・親族
長男 雄彦(銀行家・元東京銀行頭取、元国際電電(KDD)会長) - 二女淑は皇后美智子の兄正田巌の夫人である。
二男 巌根(銀行家・元長期信用銀行会長) - 二女英子は元首相鳩山一郎の女婿元日本輸出入銀行総裁古沢潤一の長男義文の夫人である。
三女 富士(官僚、政治家大橋武夫に嫁する)
系譜
浜口氏
昭和天皇━━━今上天皇 ┃ ┏美智子 正田英三郎━━┫ ┗正田巌 ┃ ┏淑 小林和介━━直 ┃ ┣━━━╋宏浜口雄幸 ┏浜口雄彦 ┃ ┃ ┃ ┗幸 ┃ ┃ ┣━━━━━╋富士 ┏大橋宗夫 ┃ ┃ ┣━━━━┫ 夏 ┃大橋武夫 ┗大橋光夫 ┃ ┗浜口巌根 ┏郁子 ┣━━━┫ 稜 ┗英子 古沢潤一 ┃ ┣━━━━━━古沢義文 ┏百合子 鳩山一郎━┫ ┗鳩山威一郎
参考文献
早川隆 『日本の上流社会と閨閥』 角川書店 1983年 158-161頁
関連項目
濱口内閣
『随感録』 濱口雄幸
TVドラマ
「男子の本懐」(1981年NHKドラマ 原作:城山三郎)
石橋湛山…遭難事件直後に「東洋経済新報」誌上において濱口首相退陣論を唱えるが、26年後にこの時の持論に従って自らが首相を退陣した。
外部リンク
⇒浜口雄幸肖像写真(国立国会図書館)
⇒浜口 雄幸 / クリック 20世紀
⇒系図でみる近現代 第11回 美智子皇后 正田家 安西家 浜口雄幸 大原家
⇒濱口雄幸:みすず書房
歴代内閣総理大臣
第26代
田中義一第27代
1929年 - 1931年第28代
若槻禮次郎
伊藤博文
K田清隆
山縣有朋
松方正義
大隈重信
桂太郎
西園寺公望
山本權兵衞
寺内正毅
原敬
高橋是清
加藤友三郎
清浦奎吾
加藤高明
若槻禮次郎
田中義一
濱口雄幸
犬養毅
齋藤實
岡田啓介
廣田弘毅
林銑十郎
近衞文麿
平沼騏一郎
阿部信行
米内光政
東條英機
小磯國昭
鈴木貫太郎
東久邇宮稔彦王