この言葉が用いられ始めたのは19世紀以後で、清朝を建てた満州人と、元々の居住者を区別するためであった。漢族という用語は人種的分類ではなく文化的な民族分類であり、その実体は中国の歴史で繰り返された漢族の周辺の異民族との混血の結果である。故に異民族でも漢族の文化伝統を受け入れれば、漢族と看做される。実際、漢民族は成立から現代に至るまでの長い歴史の間に五胡、ウイグル、契丹、満州、モンゴル、朝鮮その他多くの民族との混淆の歴史を経て成り立っている。そのため、現代の漢族と古代の漢族は全く同じ存在という訳ではなく、時代毎にその民族要素は若干の変化を示している。だが一方で同一の民族意識を共有する集団としての共通性もまた多く継承しており、それは多様な民族との混淆の歴史を経ているが故に全く同一の存在ではないものの、現代のイタリア民族と古代のローマ(ラテン)民族との間に一定の継承された共通性が存在する事と同じである。
もちろんここには、「中国の文化伝統」が何を指すかという問題がある。現在の中国統治地域では風俗・言語・思想、すべてにヨーロッパ以上の幅がある。ただし現在の趨勢では、中国文化は中華人民共和国の北方マンダリン語を基本とする文化として収斂されつつあり、漢族の定義如何よりも漢族概念自体が漢族を形成しつつある[1]。つまり古代中世近代の漢民族概念と現代のそれとは別と考えるべきである。また梁啓超は「新民説」で「自分が中国人だと反射的に思う人が中国人の範囲である」との言葉を残している。
中国の歴史は絶え間ない民族・人種の混合であった。古くは殷周交代にまでその傾向を見ることができる。当時中原に住み、より東方起源と推定される殷族と西方からやってきた周族が混交し、今にいう漢民族の母胎ができあがったのだが、その母胎はすぐに秦族に撹乱された。また、春秋戦国時代の国家である楚、越も中原とは多分に異なる民族であったと考えられている。
また中国は4世紀頃から北方の遊牧民族に北部を支配されるが、その過程で多分に北方民族の血が混ざっている。日本の学界では唐王朝の皇帝の一族もまた鮮卑系の北方民族に近いものであると考えられている。
一方騎馬民族に押されて南下していった漢族らも、タイ族の原住民と混交していったと考えられる。
いわゆる漢民族と現在カテゴライズできる人口は、長らく中国内地から大きく移動することはなく、国家の繁栄と戦乱に伴って同領域内で大きく増減を繰り返すにとどまった。これは清代中期までは江南・湖広の生産力にまだまだ人口を支える余力があったこと、明・清王朝は長らく海禁政策を採用したこととが大きな理由としてあげられる。加えて異民族王朝である清朝は満州(現在の中国東北部)・内モンゴル・新疆などへの漢族の移動まで禁じ、意識して漢民族の膨張を抑止しようとした。
ところが清代中期以降状況が大きく変化する。領域内の平穏と安定した経済によって増え続けていた人口は、イギリスなどの政策転換による銀の流入の減少(阿片戦争参照)、18世紀後半以降の全地球単位の寒冷化(異説もある)に伴う生産力の低下、さらに太平天国の乱などの清末の一連の反乱により支えきれなくなった。ついに19世紀後半には人口爆発とも呼べる事態が発生、大量の漢民族の周辺地域への拡散移動が始まった。
河北・山東など華北の人口は内モンゴル・満州へ移動し、華南の人口は東南アジア各地を中心に一部は日本・朝鮮、さらにはアメリカ・オーストラリアなどに移動した。このうち内モンゴル・満州は中国内地との隣接区域であり、圧倒的な漢民族の人口圧によって事実上内地化した。例外的に、韓国のチャイナタウンについては、20世紀半ばから後半期にかけて衰退し、消滅してしまった。理由として朴正煕時代などの強い民族主義政策などがあげられるが、極めて特異な例として注目される。
東南アジアなどでは華僑・華人となり、自らの居住区としてチャイナタウンを作り上げるなど何代にも渡って漢族のアイデンティティを保持し続けている。シンガポールでは華人が最多数派である。マレーシア・インドネシアでは経済の主導権をにぎり、マレー人など在来民族との摩擦がある。
タイの華人はタイ人に同化する傾向が強く、またタイ人の中にも中国由来の文化が取り入れられ、経済的にも政治的にも完全にタイ人と一体化している。政府の要職を占める華人も少なくない。
フィリピンでも、華人はフィリピン人に同化する傾向にある。明・清時代からの古い華人が多く、現地化や混血が進んでいる。現在でも中国語を話し、中国の習慣を残している者は60万人から100万人程度と推定される。
ミャンマー(ビルマ)の漢民族はおもに3つの出身地に分かれる。まず、移民として流入した華人には2グループあり、陸続きの雲南省からのグループと、他の東南アジア諸国と同じように華南から海をわたってきたグループに分けられる。雲南省からの流入は今でも続いている。次に、土着の漢民族のグループがある。かれらは、ミャンマー中央政府から先住少数民族と認められ、「コーカン族」と称されている。コーカン族の主な居住地はシャン州北部の雲南省との国境地帯であり、コーカン地区と称される。
この問題は現代の中華人民共和国時代に至るまで続いており、政府は増加し続ける漢民族人口を新疆やチベットに移住させている。ただしこの政策が、少数民族にたいする同化政策ではないかとの批判もあり、新疆などでたびたび発生するテロの一因となっていると考えられる。
また中国東北部からロシア領極東やシベリアに多数の中国人が移住し、将来的にはロシア沿海地方は中国人が多数派になると言われる。